評伝・盧泰愚元大統領 世界史の潮流変化に寄与 黒田勝弘

盧泰愚(ノ・テウ)元大統領に対する評価は韓国では必ずしも高くない。歴代大統領に対する人気世論調査ではいつも下位にあって注目されることはなかった。全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領と軍人同期で後継者になり「二番煎じの軍事政権」という印象に加え、ソフトな人柄で「ムル(水)泰愚」と皮肉られたように一見、優柔不断なイメージがあったからだ。しかし1980~90年代の〝盧泰愚時代〟を客観的にながめれば、どの政権にも負けないその業績は再評価されるべきだろう。

盧泰愚氏(聯合=共同)
盧泰愚氏(聯合=共同)

まず、自ら開会宣言をした88年ソウル五輪が国際的に韓国の存在感を高めるとともに、その後の共産圏崩壊・東西冷戦終結という歴史の流れに寄与したことは大きい。ソウル五輪以前のモスクワ五輪(80年)とロサンゼルス五輪(84年)はいずれも米ソによるボイコット合戦に遭った。盧政権はそれまでの韓国の反共政策を修正。「北方政策」の名で対共産圏門戸開放に踏み切り、米ソ両陣営勢ぞろいで五輪を成功させた。

その後、対ソ連国交樹立(90年)や対中国交樹立(92年)のほか、北朝鮮を初めて国際社会に引き出した南北朝鮮同時国連加盟(91年)も実現させた。これらは世界史の潮流の変化につながる大きな外交的成果といっていい。

一方、国内では強権的軍事政権から民主化時代へという難しい政治的過渡期に際し、言論出版の自由化、労働運動の解禁、海外旅行自由化などを推進。韓国で新聞や書物を自由に出せるようになったのはこの時代だが、労組や学生運動、市民運動をはじめ多くの要求が噴出するなか、混乱を回避しつつ民主化スタートをうまく乗り切った。

また自らの後継者として当時、金大中(キム・デジュン)氏と野党勢力を二分していた一方の民主化闘士・金泳三(ヨンサム)氏を与野党合併で迎え入れ、民主化後初の文民大統領として当選させている。金大中氏より穏健とみられていた金泳三氏に引き継ぐことで、漸進的な民主化を考えたのだ。

ただ盧氏は金泳三政権下で〝軍事政権清算〟の的となり全斗煥氏とともに投獄され、煮え湯を飲まされている。その後、金大中政権誕生で民主化は定着、安定することになったが。

盧泰愚時代で忘れられないのは盧氏と同郷で高校同期の金潤煥(ユンファン)氏。ジャーナリスト出身で東京特派員の経験があり、70年代に政界入りした盧氏の最側近で、キング・メーカーといわれた有数の知日派だった。

盧氏は90年、全氏に次いで大統領として史上2人目の日本訪問を果たし国会演説もしているが、金潤煥氏との対日二人三脚外交でもあった。現在の文在寅(ムン・ジェイン)政権を支える左翼・革新系の政治勢力は全斗煥・盧泰愚時代の反政府活動家たちが中心になっている。

とくに盧泰愚時代の民主化で思想的解禁が進み、学生運動に親北ムードが広がった際、その洗礼を受けた人びとだ。彼らは北朝鮮の民主化や人権問題はそっちのけで対北支援・協力ばかり語っている。対北門戸開放をさきがけた盧氏としては、投獄経験とともにこれも計算違いの一つだったかもしれない。(ソウル駐在客員論説委員 黒田勝弘)

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