話の肖像画

出井伸之(24)「ベンチャーの飛躍」手助け

「アドベンチャービレッジ」のコンセプトを発表し、ベンチャーが冒険心を持つことなどを訴えた(右から2人目) =令和元年11月(クオンタムリープ提供)
「アドベンチャービレッジ」のコンセプトを発表し、ベンチャーが冒険心を持つことなどを訴えた(右から2人目) =令和元年11月(クオンタムリープ提供)

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《平成17年にソニーCEO(最高経営責任者)を退任して、次に向かったのは、「将来の原石」探しだ》


CEOを退任して、「ソニーファースト」から解き放たれたと思いました。目の前の視野が一気に広がり、新しい視点で日本の将来に貢献できることはないかと考えました。

翌年、「クオンタムリープ」を創業しました。自分が創業者となって社員10人ぐらいの小さな会社をつくりました。オフィスは品川のような都心を少し外れたところではなく、丸の内に構えました(現在は乃木坂)。こうやってずっとソニーとは真逆のことをしたいと考えていました。

クオンタムリープとは、量子力学の世界で非連続の飛躍を意味します。ソニーが成長を遂げてきたように、ベンチャー企業もあるときパーンと伸びることがあります。そういう非連続の飛躍を手助けしたいと思って、この会社をつくりました。

ソニーを辞めて、何をやりたいかが具体的だったわけではありませんでした。手始めに朝食勉強会を主催し、冨山和彦さん(経営共創基盤グループ)、小手川大助さん(元IMF日本)、田中正明さん(元三菱UFJ銀行)、三村明夫さん(日本商工会議所会頭)、斉藤惇さん(元東京証券取引所グループ)、奥野善彦弁護士らと日本の現状と未来について話しました。また、大企業の経営者を集め、会員組織「クラブ100」を立ち上げました。若手ベンチャーの経営者を中心に「鯉(こい)のぼりの会」という勉強会もスタートさせました。

それぞれで議論していましたが、次第に大企業とベンチャーが理解し合うことが重要だと考えるようになり、クラブ100に統一しました。毎月1回継続して勉強会を開催し、今月で第166回を数えました。成長段階や業種、規模の違う企業の経営者がそれぞれの成長や変革に向けて活発な議論を行っています。ここでの出会いや議論から生まれたビジネスもあります。「継続は力なり」と思っています。

さらに日本の再活性化には、日本とアジアの人・技術・資本を掛け合わせることで新産業を共創する必要があるという認識から、NPO法人アジア・イノベーターズ・イニシアティブ(AII)を立ち上げました。

19年から毎年、国際会議「アジア・イノベーション・フォーラム(AIF)」を開催し、日本とアジアのオピニオンリーダー300~500人が一堂に会し、次世代の新産業創出を目指す議論の場も作りました。

日本発のベンチャーで大きく成長する会社の数が外国と比べて圧倒的に少ないのにはいくつか理由があります。まず、資金調達の問題があります。日本はベンチャーに対する資金の出し手が多くありません。銀行は融資と引き換えに担保を求めるし、ベンチャーキャピタルの数にも限りがあります。

新しいビジネスに対して日本の規制緩和が遅れていることも課題としてあります。規制を避けるため、新しいアイデアを持つ日本の起業家が米国やシンガポールで起業するケースも出てきましたが、これでは日本経済に寄与しません。

ベンチャー側にも課題があります。国内市場が比較的大きいので、日本向けのビジネスでスタートしがちです。結果的にグローバル化ができません。

また、IPO(新規株式公開)が目的化し、市場で調達した資金でさらなる成長を目指すことをしないベンチャーが散見されるのは残念なことです。成長のために上場するという意識を持ってほしいです。

ベンチャーが冒険心を持つこと、大企業がベンチャーと連携して変革すること、アジアと連携して成長することが日本には必要です。この考えを広げるため、僕は「アドベンチャービレッジ」というコンセプトを令和元年に発表しました。共感してくれた、ヤフー共同創業者、ジェリー・ヤン氏や一橋大学の楠木建教授らと発表会を開きました。こうして僕が関わったベンチャーは1200社を超えました。(聞き手 米沢文)

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