新・仕事の周辺

やりたい数だけ草鞋がある くどうれいん(作家)

作家・くどうれいんさん(講談社提供)
作家・くどうれいんさん(講談社提供)

正社員として平日は残業したりしながら、帰宅してからの時間や休日を使って執筆活動を行っている。執筆も一種類ではなくて、短歌、随筆、小説、児童文学と書いているから、当然、インタビューなどでは「二足の草鞋(わらじ)」と言われることも多い。ただ、わたしはこの「二足の草鞋」という言葉があまり好きではない。二兎追うものは一兎も得ず、という上で、あくまで「二足の草鞋」という囲いの中で褒められているような気がして悔しいのだ。

「どれかひとつにしないと」と、高校生の時から大人たちにはよく言われた。時間は有限でからだはひとつだから、何かを極めるのならどれかひとつを選びなさい、と。その意味もよくわかる。しかしいまは、たのしい、書きたい、とこころの赴くままに書く機会を与えていただいて、何とか書いている。

以前、読者の方に「仕事と執筆を両立させる方法は?」と期待たっぷりの眼差(まなざ)しで問われて「生活を駄目にすることです!」と答えたことがある。わたしは独身なうえ、実家に暮らして家事をすべて両親に任せ、ものすごく散らかった部屋で暮らしている。そう答えるとその読者の方はがっかりするどころか「『好きなことだからどんな状況でもがんばれる』と言われるよりも励まされる」と安心してくれた。働いて生活をするというだけで大仕事だと、日々思う。帰宅中にあれこれ思い描いていた「家に帰ったらやりたいことリスト」が、座って夕食をとっているうちに疲れてぐずぐずに溶けてしまう日だって何度もある。

もちろん、生活も、仕事も、執筆のそれぞれのジャンルに対しても、自分の時間やからだをすべて使って向き合うことができたらそれは誠実なことだと思う。そうできていない自分が「すべて中途半端」で「本物ではない」のではないか、と思うと不安で眠れない日もある。

しかし、わたしに「ひとつにしないと」と言うひとたちの「極める」って、何なのだろう。いまの自分の暮らしを納得して気に入ることは「人生を極める」ということにはしてもらえないだろうか。わたしは作家である以上に、自分やその周りの人々の人生や暮らしにとても興味を持つ市民だ。

わたしを二足の草鞋だというとき、あなたもきっと二足以上の草鞋を履いている。草鞋は作家や会社員という肩書の数だけではないと思う。仕事や家事や育児や趣味や付き合いや理想。やらなきゃいけないこと、やったほうがいいこと、やりたいことの数だけ草鞋がある。この国に暮らしているだれもがきっと、本当はもうたくさんの草鞋を履いていて、履きすぎて、厚底のハイヒールになっている。全員すごい。よくやっている。

仕事でくたくたになって駐車場の車の中でぼおっとしていると、書きたいな、と思う。わたしはこの、帰宅する車の中で書きたい気持ちがせり上がってくるときが、いちばんしあわせだ。

【プロフィル】くどう・れいん

平成6年、盛岡市生まれ、同在住。大学卒業後、盛岡市内で会社員をしながら、俳句や短歌、エッセーなど多彩な表現活動を続けている。今年発表した初の小説『氷柱の声』が第165回芥川賞候補になった。ほかにエッセー集『うたうおばけ』、歌集『水中で口笛』などの著書がある。