話の肖像画

出井伸之(23)トップ交代…安堵と喪失

後継のCEOに指名したハワード・ストリンガー氏(左から2人目)らとトップ交代の記者会見に臨んだ(左端が本人)=平成17年3月
後継のCEOに指名したハワード・ストリンガー氏(左から2人目)らとトップ交代の記者会見に臨んだ(左端が本人)=平成17年3月

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《平成15年4月、新年度の減益予想を発表したことをきっかけに株価が暴落。いわゆる「ソニーショック」が起きた》


15年3月期の利益は前期の7・5倍、次の期は57%減益となっても黒字を確保する見通しでした。しかし、15年3月期の前半の業績が良かったことから、市場における当期と翌期への期待感は非常に高いものでした。この落差が株価の暴落につながったのだと思います。

今考えると、これは日本が誇る製造業の垂直統合ビジネスモデルの「終わりの始まり」の警告でした。生産から販売まで自社でカバーし、製販システムや物流を効率化してきましたが、各地域でシェアトップを取った段階で限界に達したのです。アナログからデジタルに技術が変換し、日本がものづくりで優位にあった「すりあわせ技術」が不要になったことも響きました。ソニーが垂直統合モデルの最先端を走っていたからこそ、最初に限界に達したのです。

デジタル技術への変換、垂直統合モデルから水平分業モデルへの転換には早くから取り組んだのですが、垂直統合モデルの限界への到達は僕の想定よりも早かったのです。一層のスピード感を持って変革を進めなくてはいけないと認識しました。

ただ、この時点では、社内の多くの人たちもビジネスモデルの「終わりの始まり」とは捉えませんでした。

成功した全てのビジネスモデルは、いつかは次のビジネスモデルに敗れます。ただ、そのスピードは加速化しています。「The Future Is Faster Than You Think!(未来は想定よりも早く訪れる)」という言葉を自戒の念を込めて若い人たちに伝えています。


《17年6月、経営トップの座を退く。ソニーの経営を率いるようになって10年が経過していた》


10年という年月は、トップにいる期間としては長すぎると感じていました。当初は5年で社長を退任するつもりでいましたが、ビジネスモデルの転換や米国法人の新しい社長の人選に時間を要したのです。

後任の会長兼CEO(最高経営責任者)には、ソニー・アメリカのトップにスカウトしたハワード・ストリンガーさんを指名しました。「初の外国人トップ」として、かなり注目された人事でした。彼はイギリス出身ですが、CBSブロードキャスト・グループでトップに上り詰め、アメリカのエンタメ業界で認められた信頼できる人物です。ソニーにおけるアメリカの重要性という理由に加え、映画、音楽事業に関わる従業員を真のソニーグループの一員とさせるという意図がありました。

社長には、後に産業技術総合研究所の理事長になられた中鉢良治さんを指名し、エレクトロニクス中心の国内の経営を見てもらうことにしました。

僕と同じときに取締役だった方々には、僕と一緒に退いていただくことにしました。自分が14人の先輩方を追い越して社長になったときのことを思い出して、ハワードや中鉢さんが遠慮しなければならない人が近くにいては、新体制の求心力を保てないと考えたからです。

3月に経営陣の交代を発表すると、僕の心は安堵(あんど)感と喪失感に襲われました。ソニーに勤めて45年がたち、ソニーは僕自身と切っても切れない存在になっていたからです。

創業者世代の井深大さん、盛田昭夫さん、岩間和夫さん、大賀典雄さん。僕は社長に就任するとき、「この4人の夢をデジタルの時代に書き直して、次の世代に引き継ぐ」という使命を背負ったわけですが、その道筋をつけることはできたと自負しています。(聞き手 米沢文)

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