東京の南方約180キロに、いにしえから幾度となく噴火を繰り返す〝躍動の島〟がある。伊豆諸島の一つ、三宅島(みやけじま)だ。島の中央には火山活動の活発な雄山(おやま)がそびえ、海岸線には黒い砂浜が広がる。
島は野鳥の聖地とも言われ、天然記念物のアカコッコをはじめ多くの野鳥が集まる。伊豆諸島最大の火口湖である大路池(たいろいけ)はバードウオッチングの人気スポットだ。近くのアカコッコ館では、野鳥のほか島の暮らしや噴火の記録を映像や写真で知ることもできる。
島の地形や景色は、噴火のたびに装いを変えてきたという。昭和15年の噴火では約22時間のうちに「ひょうたん山」が形成され、昭和58年の噴火では海底爆発によって一夜で噴石丘「新鼻新山(にっぱなしんざん)」が形成された。
一方で、宝暦13(1763)年の噴火でできたとされる新澪池は、昭和58年の激しい水蒸気爆発によって池の水がなくなった。島西部の阿古集落も、溶岩流にのみ込まれて消えてしまった(現在は別の場所にある)。小学校で溶岩流がせき止められた形跡が今に残る。現在は火山体験遊歩道が設置され、厳しい自然の姿を体感できる。
平成12年に発生した雄山の噴火は記憶に新しい。火山ガスが発生し、全島民が島外での4年5カ月におよぶ避難生活を余儀なくされた。島北部の神着(かみつき)地区では、東京都の無形民俗文化財に指定されている伝統の木遣(きやり)太鼓を守るため、太鼓を島外へ運び出したそうだ。
文政3(1820)年に神着で始まった牛頭(ごず)天王祭では、太鼓・サカキ・みこしが一緒に地区を巡る。「木遣(きや)り」と呼ばれるサカキ持ち係は1本の木ごとサカキを担ぎ、太鼓とともに一行の先導役となる。
神着郷土芸能保存会の前田誠会長は、平成17年に完全帰島してすぐ、噴火で消えたサカキを植え始めた。「島の子供たちが10年後にも使えるように。これまでも伝統の保存と継承には島の多くの人たちが協力してきた」と話す。
昭和57年に島に嫁いだペンション・ダイブショップサントモの女将(おかみ)、沖山厚子さんは2度の噴火を体験した。「自然は破壊と再生を繰り返すもの。噴火と隣り合わせの生活でも、私が帰る場所はここにある」と語る。現在、島で人体に有害な物質は噴出していない。少しずつ緑も増えている。火口への立ち入りも来春頃には可能となりそうだ。
地球の躍動を感じ、鼓動に耳を傾け、島の人の生きる力に触れてみたい。
■アクセス
竹芝桟橋(東京)から大型客船で6時間半。調布飛行場(同)から小型飛行機も。
■プロフィル
小林希(こばやし・のぞみ) 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は100島を巡った。