ビブリオエッセー

「今日様」と「お陰様」に感謝 「蔦重(つたじゅう)の教え」車浮代(飛鳥新社、双葉文庫)

数年前に読んだ小説だが、改めて再読したら面白くて止まらなくなった。

「おい! おい若造! でぇじょぶか⁉」

頰を叩かれ、目覚めた主人公、武村竹男の前には三十代とおぼしき着物姿の男が一人。男は地本問屋の蔦屋重三郎、「蔦重」と名乗った。

広告代理店の営業マンだった武村は仕事のミスで依願退職を迫られ、自棄になって吉原で飲んだ後、神社で無作法をして、そのまま気を失ったのだ。気づけば天明年間の吉原遊廓にタイムスリップしていた。

ありえへん展開ではあるが五十代の武村は二十代の若者になっていた。未来からやってきたと明かした武村は蔦重に「タケ」と名づけられ、そこで働くことに。伸び縮みするトランクスを初めて見た蔦重が「教えろよ。どういうからくりなんだ?」には思わず笑った。

デビュー前の歌麿が登場し、タケはさっそく春画のモデルになり、混浴の湯屋で頭に血がのぼる。妓楼では狂歌の会が開かれ、出席者の名が「朱楽菅江(あけらかんこう)」「寝惚(ねぼけ)先生」としゃれっ気たっぷり。スマホで検索したら実在の人物だった。妖しく美しい花魁(おいらん)「蜻蛉(かげろう)」との出会いがあり…と読んだはずなのにしっかりのめりこんだ。

食事にはご飯と汁、漬物の三点、質素ながら米のおいしさが伝わる場面に懐かしさがこみあげる。浮世絵や江戸文化が好きで読み始めた本だったが、当時の敏腕プロデューサー、蔦重がタケに語る言葉が心に響く。「てめえの道をてめえで塞いでどうする? 〝でも〟とか〝しかし〟なんて言ってる奴は、金言を逃す」…。そこに生き方や仕事の極意がある。

江戸時代の人たちは毎朝、「今日様(お天道様)」を拝み、「お陰様」に感謝した。読後、私も「蔦重の教え」をずっと守っている。

兵庫県宝塚市 山下佐江子(68)

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