「事故の悲惨さを多くの人に知ってもらい、再発防止につなげたい」との気持ちで公判に臨んでいたが、飯塚受刑者個人に対する批判ばかりがクローズアップされ、高齢者による事故を社会全体で考える契機とならなかったのではないか、という危機感を感じたという。
「健全な議論はなされるべきだと思うが(飯塚受刑者が)脅迫されるようなことは望んでいなかった。彼の公判での態度は確かに不誠実だったが、交通事故は誰でも加害者になりうる。加害者をバッシングすれば、事故がなくなるわけではない」と訴えた。
「怒り」を強調
今回の事故で波紋を広げた過剰なバッシング。国際大グローバル・コミュニケーション・センターの山口真一准教授(ネットメディア論)は「興味本位というより、『凄惨(せいさん)な事故を何とかしなければ』という正義感が根拠となっているものが多かった」と指摘する。
山口准教授によると、SNSでは、言いたいことのある人の意見だけが表面に出るため、冷静な声よりも「怒り」のような感情が強調され、拡散されやすい傾向があるという。
山口准教授は「表現の自由は担保されなければならないが、たとえ正義感であっても、人格否定や行き過ぎた誹謗(ひぼう)中傷は誰に対してでも許されない、という認識を広めることが重要だ」と強調した。(塔野岡剛)