話の肖像画

出井伸之(17)ベータの教訓生かしDVDで統一規格

日米欧の9社が集結したDVD統一規格の記者発表会=平成7年12月、東京都港区(ソニーグループ提供)
日米欧の9社が集結したDVD統一規格の記者発表会=平成7年12月、東京都港区(ソニーグループ提供)

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《デジタル化が進むにつれ、家電や情報通信分野でメーカー同士の規格争いが相次いだ。20世紀終盤には、DVD(デジタルバーサタイルディスク)の再生(ROM)フォーマットをめぐる争いが勃発した》

平成7年に社長に就任したとき、すぐに解消しなければならない課題がいくつかありました。その一つが、東芝陣営とのDVDの再生フォーマット争いでした。

これはそもそも次世代CD(コンパクトディスク)の開発を競う中で始まりました。ソニーはオランダのフィリップス社と「MMCD(マルチメディアコンパクトディスク)」というCDよりも高密度の光ディスク媒体の開発を進めていました。一方、東芝や松下電器産業(現パナソニック)、日立製作所、米映画大手タイムワーナーは「SD(スーパーデンシティディスク)」というフォーマットを提案していました。

両陣営は開発当初から世界標準規格にすることを意識して、映画・コンピューター業界を巻き込んで数年にわたり熾烈(しれつ)な競争をしてきました。

《DVDの前にも、数々のフォーマット争いを経験したことが役立った》

なぜか僕はフォーマット争いの担当になることが多かった。レーザーディスク対VHDの争いの次に、平成元年に取締役となったときにはビデオのフォーマット転換に対処しました。松下、日本ビクター(現JVCケンウッド)、日立などのVHS陣営に頭を下げて回って、ビデオ事業のベータからVHSへの転換を進めたのです。

文系出身の僕はこうした敗戦処理係に適任だったのかもしれません。一方、技術者たちの中には「ベータの方が画質は優れている」と納得していない方もいました。

そこへ、ある技術者の自宅に泥棒が入る事件が起きました。家にはソニーのベータと他社のVHSの2台のビデオデッキがあったそうですが、泥棒はVHSの方だけを持って行ったそうです。「泥棒でさえ、ベータはいらないんだぞ」と妙な激励をして、技術者たちの未練を封じ込めた記憶があります。

これらの経験を通じて、僕が得た教訓は、フォーマット争いは避けられるのであれば避けた方がいいということです。

《DVDのフォーマット争いは経営戦略上は避けるべきだと判断した》

僕はDVDのフォーマット争いは経営戦略上は重要な問題ではないと位置づけ、教訓をベースに東芝側に和解を申し入れることにしました。ディスクを2枚張り合わせる方式とするなど、SD規格を基本としながらも、MMCDの信号変調方式を部分的に採用してもらえないかと提案したのです。

東芝の西室泰三専務と意見が合わず、交渉の途中で会議室から出ていったこともありました。しかし幸いなことに、当時の東芝の佐藤文夫社長が理解を示してくださり、規格の統一を快諾してくださいました。

そこで、僕はIBMのルイス・ガースナーCEO(最高経営責任者)に国際電話をかけて、「日本はこれでまとめるから、アメリカの方もよろしく」とお願いしました。

7年末、DVDの再生フォーマット統合協議交渉は合意に至り、ソニーは9年にDVDプレーヤーの1号機を発売しました。再生フォーマットに関してはこのように合意されたわけですが、記録フォーマットでは規格が乱立する事態が起きます。ただ、あのとき再生フォーマット戦争を早々に終わらせることができたことはよかったと思っています。(聞き手 米沢文)