女性初の官房長官を務めた森山真弓氏が死去したことに関し、野田聖子女性活躍担当相は18日、「いつも冷静沈着で大物男性政治家とも渡り合える女性政治家の鑑(かがみ)のような方だった」と振り返った。
野田氏にとって、森山氏は衆院初当選後に所属した旧河本派(番町政策研究所)の先輩だった。ともに進めた選択的夫婦別姓制度が進捗(しんちょく)しない状況について、森山氏は「憲法改正も実現してないじゃない。まだまだですよ」と前向きに捉えていたという。
長男を柔道の試合中に事故で亡くしたことについて「私が生きていることが息子への何よりの供養」と語っていた森山氏。野田氏は「私にとって母親のひな型でもあった。どんな状況でもしなやかに闘う人。自己肯定感を与えてくれる先輩だった」と述べた。
同じ旧河本派に所属していた大島理森前衆院議長は「日本の女性議員のさきがけとして、女性参画社会を進めるなど活躍された。多くの女性のお手本となるような方だった」と語った。
大島氏は、森山氏が亡くなった14日に衆院が解散されたことを引き合いに「『選挙は清く、正しく、ずうずうしく』と話されていたことを思い出す」とも指摘。「明晰(めいせき)なる頭脳と決断力のある政治家だった」とたたえた。
野田、大島両氏とも産経新聞の取材に答えた。