ロシアにらんだ天然の軍港、舞鶴が守る海の治安

海上自衛隊舞鶴地方総監部の北吸桟橋=京都府舞鶴市
海上自衛隊舞鶴地方総監部の北吸桟橋=京都府舞鶴市

旧海軍が軍港に置いた拠点の一つ「舞鶴鎮守府」が明治34(1901)年、現在の京都府舞鶴市に開庁して今年で120年となる。現在でも同市は国内唯一、同じ町に海自と海保が拠点を置く日本海側の要所である。なぜ、舞鶴に鎮守府が置かれ、現在も海の要所となっているのか。その秘密は、海の治安を守るために最適ともいえる舞鶴港の自然環境にあった。

120年前に開庁された海軍舞鶴鎮守府の庁舎(舞鶴市提供)
120年前に開庁された海軍舞鶴鎮守府の庁舎(舞鶴市提供)

「鎮守府は海軍の城郭なり」。国学院大の西村幸夫教授は10月2日、舞鶴市で開かれた鎮守府開庁120年記念シンポで、そう紹介した。

明治時代、旧海軍は日本の沿岸を5つの海軍区に区分し、横須賀(神奈川県)、呉(広島県)、佐世保(長崎県)、舞鶴に鎮守府を設置。各海軍区の防備や艦艇の建造・修理、病院や水道、鉄道など近代都市のインフラを築き上げた。

その中で最後に築かれた舞鶴鎮守府は日本海側唯一の拠点であり、インフラと同時並行で完全な都市計画によって建設された。初代の司令官は、後に日露戦争の日本海海戦で名をはせる東郷平八郎元帥(1848~1934年・当時中将)が務めた。

西村教授は「舞鶴鎮守府は完全な人工都市であり、都市計画では他の3つの鎮守府の集大成であり、重要な町」という。

日本海側にはほかにも港があるが、なぜ舞鶴が選ばれたのか。背景には当時、高まっていたロシアとの緊張がある。ロシアの侵攻が予想される津軽海峡と対馬海峡のほぼ中間点であること、そして、軍港として格好の地形であることが理由だったという。

つまり、湾口が狭く、防御に適し、湾内は波が静かで多くの艦船が停泊できるなど、自然のままで手を加える必要がない「天然の良港」だったのだ。