話の肖像画

出井伸之(16)VAIOでSONYをデジタル化

VAIOのキックオフミーティングであいさつする =平成9年6月(ソニーグループ提供)
VAIOのキックオフミーティングであいさつする =平成9年6月(ソニーグループ提供)

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《社長になって打ち出したビジョンは「デジタル・ドリーム・キッズ」。インターネット社会の到来に合わせたビジネスの転換が急務となっていた》

ソニーの社内には、MSX規格のパソコンを作っていたころの人材やノウハウが残っていました。ソニーはその後も富士通に技術者を派遣して勉強させてもらっていたのです。

ITを新たなビジネスの軸にする戦略に切り替えたことで、僕の中でいったん撤退したパソコン事業への思いが再び強くなっていきました。

ソニーは音楽や映画、ゲームなどのエンタメ分野を強化してきました。ソニーが取り扱う情報端末の製品群にパソコンを加えることで、ソニーをアナログの会社からデジタルの会社にする計画は大きく前進します。

それにITの時代になると、デジタル関連の技術者の取り合いが起きることが予想されました。いい技術者を集めるためにも、ソニーブランドのパソコンを作るという大きなプロジェクトを動かす必要性を感じていました。

《そこで頼ったのが、コンピュータ事業部長時代の人脈だった》

僕は意識的にITやメディア関連の経営者との関係を大事にしてきました。そのうちの一人がインテルの社長、アンディ・グローブさんです。

平成7年のゴールデンウイークに会いに行くと、アンディ自ら空港まで迎えに来てくれました。パソコン事業への再参入を相談すると、「ソニーがやるなら、今までにないパソコンを作ってほしい。インテルを挙げてアンリミテッド(無制限)なサポートを約束する」と言ってくれたのです。

グローブと出井の頭文字から取って「GIプロジェクト」がスタートしました。インテルは約束通り150人ぐらいのエンジニアを派遣してくれました。

そのころコンピューターといえば、クリーム色のオフィス用ばかりでした。ソニーが作るからには、音や映像を扱うことができ、デザインにもこだわって、みんなが持ち歩くようなパソコンにしたいと考えました。

また、このころ並行してデルコンピュータのOEM(相手先ブランドでの生産)を請け負い、デルのビジネスモデルを勉強しました。ITを駆使することで、生産ラインを本社で一括管理し、生産効率を上げてユーザーのニーズに応えたものを素早く届けるという最先端のものでした。

《ソニーは米国での先行発売に続き、日本では平成9年、軽量・薄型のノートパソコンを投入。マグネシウム合金を使ったスタイリッシュなデザインが「銀パソ」ブームを巻き起こした》

「VAIO(バイオ)」という名前やロゴデザインは「プレイステーション」のデザイナーとしても知られる後藤禎祐(ていゆう)さんが考えてくれました。Video(ビデオ)、Audio(オーディオ)、Integrated(統合する)、Operation(操作)の4つの頭文字で構成され、音と映像を総合的に扱えるパソコンという意味が込められています。

ロゴデザインは「VA」でアナログ信号の波形、「IO」でデジタル信号の2進法の0と1を表現し、アナログとデジタルの融合を象徴した素晴らしい出来栄えでした。

VAIOは技術者だけでなく、営業チームやデザイナーも含め、一体となって取り組んだ大きなプロジェクトでした。ITビジネスに取り組むという意識改革にもつながったと思います。(聞き手 米沢文)

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