試練のイラク

(上)「イランも米国も出ていけ」

米軍が殺害したイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官(右)と「カタイブ・ヒズボラ」のムハンディス元幹部を描いた看板。人も車も気を留めずに通り過ぎる=9日、バグダッド市街(佐藤貴生撮影)
米軍が殺害したイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官(右)と「カタイブ・ヒズボラ」のムハンディス元幹部を描いた看板。人も車も気を留めずに通り過ぎる=9日、バグダッド市街(佐藤貴生撮影)

米軍など有志連合による軍事進攻(2003年)やイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)の台頭で混乱が続いたイラクで10日、国会(定数329)総選挙が行われた。外国の干渉排除や宗派・民族の対立解消など、国家再生には難題が山積している。

「米国はイラクに侵攻して破壊と占領という犯罪を行い、混乱と内戦をもたらした」。首都バグダッドで会ったシーア派民兵組織「カタイブ・ヒズボラ」の報道官、モハメド・モヒ(59)は米国を強く非難した。イラク戦争が起きた03年に創設された組織は反米の最強硬派に属する。

戦争によるサダム・フセイン独裁政権の崩壊は、シーア派とスンニ派の間でテロが相次ぐ宗派抗争を生んだ。14年からはISがイラクの広い地域を支配。イランから資金や兵器など手厚い援助を受けたシーア派民兵組織は、米軍とともに17年にISを壊滅させた。

IS掃討への貢献が評価され、翌18年のイラク国会総選挙では、モヒの組織を含む親イラン民兵組織の連合体「人民動員隊」(PMF)と連携する「征服連合」が48議席で第2勢力に躍進した。だが、今回は議席の大幅減が見込まれる。

イラクで19年、政治腐敗や経済低迷で大規模な反政府デモが起きた際、影響力浸透を図るイランへの批判も噴出。PMFはデモ隊を狙撃して鎮圧したとされ、支持が急落した。