新聞に喝!

「京都市中央区」とは何か 京都府立大教授・岡本隆司

去る夏の夜、とあるニュース番組をみていると、猛暑を報じた風景画面に「京都市中央区」という字幕が出て喫驚(きっきょう)した。画像は一瞬で消えたが印象が強かったから、字面はまちがいない。筆者は京都在住なので、まず「京都市中京区」の誤りかと感じた。

だとすれば、字幕をつくった人は、「なかぎょうく」と読めなかった蓋然(がいぜん)性が高い。これは他郷の人と話して実際にあったことで、まじまじとその字面をみて、「ちゅうきょう」と読む向きが多かった。「ちゅうきょう」と読めば、名古屋あたりを連想するから、表記が誤りだと判断して訂正(=誤記)したこともありうる。あるいは単なる字形の類似から「中央」と記してしまったのかもしれない。

漢字運用能力の低下が問題である。いまや字幕の訂正をいわない報道番組はないが、このたびの「京都市中央区」では見ているかぎり、訂正の言及やおわびはなかった。

一過性の誤りなら誰しも免れないし、正せばよい。しかし昨今の新聞・メディアは異なる。漢字を知らない、書けない、読めないばかりか、それを自覚していない。

「なかぎょう」と読めない、その名辞を確認しない報道関係者の存在が問題である。一般の視聴者であれば、異郷の地名だから知らなくてかまわない。それこそ報道や文化番組・情報番組で知ればよいのである。

となれば、報道にたずさわる人間が、そんな知識を知らぬ、調べぬでよいのか。新聞・メディアはかつて「未曽有」を「みぞうゆう」と読んだ閣僚を嘲笑(あざわら)ったけれども、もう少し自らに謙虚、敏感であってほしいと思っては望蜀(ぼうしょく)だろうか。

「なかぎょう」はヘンな読み方かもしれない。けれども「上京」を「かみぎょう」、「下京」を「しもぎょう」と読める歴史の知識があれば、類推はつく。それも読めないのであれば、「江戸(えど)」を「こうこ」と読むのとかわらない。すべては歴史を軽んじるジャーナリズムを筆頭とする日本の知的風土のなせるわざである。

くだんの映像は「東京都中央区」だったのかもしれない。それなら「おわびして訂正」する。しかし錯誤としてはもっとひどい。

映像画像を駆使した速報性はこのご時世、報道の死活に関わる。しかしいくら速くても、それが意味不明では、ほんとうに意味がない。時代遅れながら紙媒体の新聞なら、こうした誤りは、残るがために矯正できる。一縷(いちる)の望みをつなぎたい。

【プロフィル】岡本隆司

おかもと・たかし 昭和40年、京都市生まれ。京都大大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。専攻は東洋史・近代アジア史。著書に「『中国』の形成」など。