【勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(329)】それがプロ 送りバント 上田監督の逆鱗に - 産経ニュース

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勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(329)

それがプロ 送りバント 上田監督の逆鱗に

後半戦快進撃の立役者となった福良=1986年7月30日、西宮球場
後半戦快進撃の立役者となった福良=1986年7月30日、西宮球場

石嶺の日本新記録達成で後半戦の開幕戦を勝利した阪急は、勢いに乗って8連勝。その立役者となったのが「6番・二塁手」の福良だ。

7月30日の西武戦(西宮)、5―5の同点で迎えた九回1死満塁で郭から初球を右前へサヨナラヒット。そして8月1日の南海戦(西宮)では五回、山内孝のシュートを左翼ラッキーゾーンへ決勝の6号3ラン。

人の伸び行くさまを見るのは、なんとも心地よい。筆者と出会った2月の高知キャンプではまだ、岩本や福原に続く〝第3の二塁手〟。4月の開幕戦も「代走」出場だった。そんな男が小さなチャンスをコツコツとものにして、5月中旬には定位置獲得。押しも押されもせぬ「勇者の二塁手」に成長した。

福良淳一、昭和35年6月28日生まれ。宮崎県出身の当時26歳。延岡工―大分鉄道管理局を経て59年のドラフト6位入団。あだ名は「デゴイチ」。背番号「51」からきている。筆者はさらに縮めて「デコ」と呼んだ。鉄道管理局では保線区員としてハンマーを持ち、果てしなく続く線路を「コチン」「コチン」と叩いて歩いたという。

「ボクは運よく列車事故に遭わなくて肉片拾いはしなかったけど、辛い仕事でした」

後半戦になって「福良の目の輝きが違う」といわれた。きっかけはその年のジュニアオールスターゲームだった。

7月18日 ナゴヤ球場

全イ 001 020 102=6

全ウ 000 000 102=3

(勝)水野(巨)〔敗〕宮下(中)

(本)広瀬(日)山田(中)

福良は「全ウの3番」として出場。一回無死一、二塁で打席が回ってきた。ところが、ベンチの中村監督(神)のサインは「送りバント」。福良は指示に従ってバントした。これが上田監督の逆鱗に触れた。大阪へ戻った福良はいきなり怒鳴られた。

「阪急の野球には、一回無死一、二塁からバントのサインはありません!と、なんで啖呵(たんか)を切って打ってこんのや。そんで100万円もろて10万円を罰金です―と払(はろ)てくるんや。それがプロや!」

それがプロなのか…。福良が一皮むけた瞬間だった。 (敬称略)