東京特派員

いま、よみがえる青の弥勒 湯浅博

タリバンが2001年に爆破した石仏があった石窟の前でサッカーをする少年たち=07年、バーミヤン(ロイター)
タリバンが2001年に爆破した石仏があった石窟の前でサッカーをする少年たち=07年、バーミヤン(ロイター)

ロバの引く荷車が、泥道に深い轍(わだち)をつくりながら、懸命に前を行く。イスラマバードで雇ったタクシーの運転手に、「あの岩山だよ」と言われたその先に向かって、いくつもの水たまりを飛び越えていく。

あれはすべてが片岩からなる山塊である。パキスタンの北西辺境州ペシャワルに向かう途中、見渡す限り黄土が広がるガンダーラ遺跡の異界に踏み込んだ。

ドラマ『西遊記』のエンディング曲だったゴダイゴの「ガンダーラ」のように、そこに行けば夢がかなう「素晴らしいユートピア」があったのか。

ガンダーラ地方には紀元前4世紀にアレキサンダー大王の東征でギリシャ文明が入ってヘレニズム文明が生まれ、紀元後1~4世紀のクシャン朝時代にインド文明が交ざりあってガンダーラ美術が生まれた。

5世紀には三蔵法師こと玄奘三蔵が仏教の原典を求めてはるばる理想のインド辺境を目指した。その苦難の旅が「西遊記」の物語になった。

緩やかな道を上っていくと、子供が一塊の片岩を差し出して、「5ドルだよ」とカネをせびる。途上国取材では、常に「NO!」と拒絶するのが鉄則だ。それをせずに優しい声をかけようものなら、次々にモノを売りつけてくる。

それが「間違いだった」と感じたのは、上野の東京芸術大学の美術館で開催された「みろく―終わりの彼方(かなた) 弥勒の世界」展を見たときである。目の前に高さ20センチ、幅15センチの弥勒菩薩座像が鎮座する。かの地の子供が、菩薩像を盗掘してきたとは思わないが、入手しておけば少しでも散逸を免れたか。

弥勒菩薩は釈迦仏の入滅後、56億7千万年後にこの世に現れる未来仏だという。弥勒は誕生の地ガンダーラから時空を超え、シルクロードをたどって、海を渡るとはるばる日本にやってきた。

初めて弥勒菩薩に出会ったのは、中学校の修学旅行で訪ねた京都・太秦の広隆寺であった。その半跏思惟像は片足を踏み下げ、頰に指先を添えていた。口元に微(かす)かなほほ笑みをたたえ、千年以上の歳月を経た木目が温かさを感じる。

ガンダーラ起源の弥勒菩薩が、ここから東アジアにまで伝播(でんぱ)したことは喜ばしい。弥勒像を見たドイツの哲学者カール・ヤスパースが「人間実存の最高の姿」と絶賛したのは有名な話である。この暗く沈んだ世界に救世の光をもたらしてほしいものだ。

6世紀には、その中継地となったアフガニスタンのバーミヤン磨崖に、像高55メートルの弥勒大仏「西大仏」が刻まれた。アフガンは「文明の十字路」であり、その分だけ、さまざまな部族対立、宗教紛争が絶えない。1979年のソ連の軍事侵攻とそれに続く20年の内戦で荒廃し、文化財が略奪の対象になった。

とりわけ、偶像崇拝を否定するイスラム原理主義勢力タリバンが支配すると、彫像の顔が無残にそぎ落とされた。博物館の10万点に上る収蔵品の7割が失われたという。それでも、破壊を免れた秘宝は、アフガンの博物館員が命を賭して中央銀行の地下金庫に隠した。2000年代初めに金庫の扉が開けられるまで確実に守り抜かれた。

タリバンが01年に爆破した石仏近くに、アフガンで産出する鉱物ラピスラズリが彩る天蓋壁画「青の弥勒」があった。ラピスラズリの青はバーミヤン壁画の色彩の主調をなし、探検家のマルコ・ポーロをして「これこそが青の原石」と感嘆させた。

1970年代に京都大学が撮影した画像を基に、東京芸術大学がスーパークローン文化財技術をもって原寸大に復元したのだという。今回の「みろく」展では、展示の巧みな演出なのか、くぐり抜けると「青の弥勒」が救世の光を放って見下ろしていた。

ゴダイゴの「ガンダーラ」が歌うように、夢がかなうのは受け取る側の心しだいなのかもしれない。誰もが行きたがるはるかな世界、「その国の名はガンダーラ」であった。残念ながら開催は10日まで。(ゆあさ ひろし)