【書評】『分断のニッポン史 ありえたかもしれない敗戦後論』赤上裕幸著 「歴史のif」が教材になる - 産経ニュース

メインコンテンツ

書評

『分断のニッポン史 ありえたかもしれない敗戦後論』赤上裕幸著 「歴史のif」が教材になる

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶと俗にいわれる。しかし、ヘーゲルは言った。「民衆や政府が歴史からなにかを学ぶといったことは一度たりともなく、歴史からひきだされた教訓にしたがって行動したことなどまったくない」(『歴史哲学講義』長谷川宏訳)、と。たしかに二度あることは三度起こり、人類は同じような失敗を重ねてきた。

歴史から学ぶには、知るだけではだめだろう。アクティブ・ラーニング(能動的学習)が必要なのだ。

そこで本書は、歴史を語るうえで禁じ手とされてきた、もしも、あのとき…だったら、という「歴史のif(イフ)」(反実仮想)による思考実験を提案する。もう一つの「ありえた」歴史に向きあうことで、現在と未来に立ち向かう指針が明確になりうるのではないか。そのように問題提起をする。

そのために著者が着目したのが、敗戦後、手を替え品を替えあらわれた「ニッポン分断」をテーマにした小説や漫画などである。北海道がソ連に占領されたかもしれないとか、北日本がソ連に、本州がアメリカに、四国が中国に、九州がイギリスにそれぞれが分割占領されたかもしれないというような話を聞いたことがある人もいるだろう。

戦後、ドイツや朝鮮は分断されたから、日本がそうなっても不思議はなかった。日本分断論は「ありっこない」過去のifではない。「ありえたかもしれない」過去をめぐるifである。

といっても、こうすれば戦争に勝てたのにというようなご都合主義的なifではない。「ニッポン分断」ものは敗戦という汚点を抱え込んで、そうあってほしくない仮想過去を描いている。だからこそ、歴史のアクティブ・ラーニングの教材になるのだ。

著者は一見トンデモ本まがいにみえる「分断もの」のそれぞれの物語を丁寧にときほぐして、含意を明らかにする。読みたくなる本(教材)が多い。筆はありえたかもしれない仮想過去論だけでなく、「第三次世界大戦」ものなどの「仮想未来論」や『吉里吉里人(きりきりじん)』(井上ひさし)、「佐渡独立論」などの「独立国家論」にも及び歴史のifが広がる。(中公新書ラクレ・990円)

評・竹内洋(関西大名誉教授)