『スタジオジブリの想像力 地平線とは何か』 三浦雅士著(講談社・2750円)
途方もないスケールの本だ。
宮崎駿のアニメとルネサンス絵画が人類の視覚芸術にとって同じくらい重大な出来事だということを証明してしまうのだから。そこに動員される膨大な教養と、論証の手続きの魔法使いのような巧みさに目がくらむ思いがする。
エジプトなど大昔の絵はどれも不動で様式化され、よく似ている。それが変わったのは古代ギリシャからだ。「いまここのこの瞬間」を捉えるようになった。そうして「いまここにこのようにしてあるわたし」という自己意識が生まれた。その自己と時間の意識を再生拡大したのがルネサンスの絵画だが、そこにあったのは動きへの欲望で、その欲望を実現したのが、いまのアニメーションなのだ。
それでは宮崎アニメが特別なのはなぜか。登場人物が空を飛ぶからだ。飛ぶことは高いところから見ることだ。遠近法を作りだしたこの欲望を宮崎アニメは体現している。そうして地平線を発見する。地平線の発見、いや発明は人間を動物と区別し、人間たらしめた。なぜなら、地平線は自分はどこにいて、何者なのかという問いを誘うからだ。地平線によって人間は内面世界を手に入れたのだ…。
こうして著者は地平線という魔法の切り札を駆使して、宮崎アニメの魅力を縦横に解明する。「天空の城ラピュタ」では恋愛のテーマ、「ハウルの動く城」では母のテーマを手がかりに、アクロバットのように華麗な分析をくり出すが、その根底には、地平線という主題が厳然とありつづける。
しかも話は、哲学、文明論、映画、音楽、能、俳句にまで広がってとどまることを知らない。読み終えたいま、もっと勉強しなくては、という知的好奇心の切迫した衝動に突き動かされている。そんな誘惑的な力にも満ちた本だ。
『東映任俠映画120本斬り』山根貞男著(ちくま新書・1210円)
昭和38年から49年の主な東映やくざ映画を一挙に解説してくれる。みんな似たような話のはずだが、山根貞男のツボを押さえた文章を読むと、どれも珠玉の名作に思われてくるから不思議だ。知らない映画ならなおさらだが、見た映画でも、ええ? そうだったのか! と、もう一度見たくなること必至である。封切り全作品リストもありがたい。
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ちゅうじょう・しょうへい 昭和29年、神奈川県生まれ。パリ大学博士。著書に『反=近代文学史』『恋愛書簡術』、翻訳にジッド『狭き門』など多数。