一聞百見

三足のわらじを履く幕末維新史研究者 木村幸比古さん


「雑木もやがて名木に」松下幸之助氏の教え

樫原三ノ宮神社の宮司も務める木村幸比古さん。46年前に神職から幕末維新史研究の世界に飛び込んだ=京都市西京区(渡辺恭晃撮影)
樫原三ノ宮神社の宮司も務める木村幸比古さん。46年前に神職から幕末維新史研究の世界に飛び込んだ=京都市西京区(渡辺恭晃撮影)

阪急桂駅の南西約1・5キロ、京都市の西側に位置する閑静な住宅街にある樫原三ノ宮神社。鳥居をくぐると、幕末維新史研究者とは異なるもう一つの顔、宮司の装束姿で迎えてくれた。

平安時代に起源を持つこの神社の三男として生まれた。生来体が弱く、「ランドセルも背負えないほど」の少年だったという。

国学院大文学部神道学科に進学したが、「将来何になるんかな。ずっと神職やっていくんかな」と漠然とした思いを抱えるようになる。そんな時に「ちょっと難しいけど、発掘とかに携われそうだし面白そう」と学芸員の資格取得を目指した。

卒業後は、父が宮司だった霊山護国神社(京都市東山区)の神職に就いたが、26歳のときに転機が訪れた。向かいにある霊山歴史館(同)から学芸員にならないかと勧誘を受けて「やってみよう」と飛び込んだ。

1978(昭和53)年に霊山歴史館を訪問された秩父宮妃殿下を案内する松下幸之助(右)と木村幸比古さん=京都市東山区(本人提供)
1978(昭和53)年に霊山歴史館を訪問された秩父宮妃殿下を案内する松下幸之助(右)と木村幸比古さん=京都市東山区(本人提供)

ここで、パナソニック創業者の松下幸之助と出会う。松下は、自身が中心となって明治100年にあたる昭和43年に霊山顕彰会を設立し、45年に霊山歴史館を創設。初代館長を務めていた。

「僕が大学で少林寺拳法に熱中していたと聞いた幸之助さんが『馬力があるやつの方が面白いやん』と推してくれた。さらに、名前に同じ『幸』の字が入っていた。幸之助さんはそういう験担ぎのようなことが好きな方だった」とにこやかに振り返る。

昭和50年に学芸員として一歩を踏み出した当初、歴史館の敷地にあった細い松の木を目にし、「黒松にした方がかっこいいでしょ」と松下に提案したことがあった。すると松下から「何を言うてんのや。雑木も100年たてば名木になる。同じように設立間もない歴史館の歴史を作るのが君の仕事やないか」と言い諭されたという。

国内有数の実業家だった松下だが、「僕のような若者にも対等に同じ目線で話を聞いてくれた」。

当時は所蔵品も少なかったため、学芸員として全国各地を訪ねて歩き、徳川慶喜直筆の書や土方歳三の刀など、収集史料は約5600点にのぼる。ときには、志士らの子孫とやり取りをしたことも。つてをたどって元新選組隊士・島田魁のひ孫から、新選組隊士の名簿である貴重な「英名録」も入手した。

「幸之助さんは威厳のある方で、言葉にも説得力があったからこそ、僕も歴史館を充実させたものにしようと取り組んできた」

松下は国家百年の計を創り、実践するためとしてリーダーを育成する「松下政経塾」を創設。幕末・明治維新の志士と通じる気概を感じた。さらに、「人のためになることをしろ」が口癖で紙1枚、ペン1本まで大事にした松下の姿は今も鮮明に記憶に刻まれている。

「『紙やペンを君は作れないだろう。だから大事にするんや』と言われましたね。だからこそ、歴史館の史料も預かり物であり、大事にして次の世代に引き継がなければと感じています」

坂本龍馬や中岡慎太郎、木戸孝允ら志士の墓碑が並ぶ霊山の麓にたたずむ歴史館は、いまも幕末・明治維新の専門博物館として存在感を示している。