一聞百見

三足のわらじを履く幕末維新史研究者 木村幸比古さん

幕末維新史研究の木村幸比古さんは、神社の宮司、居合道の達人でもある=京都市西京区の樫原三ノ宮神社(渡辺恭晃撮影)
幕末維新史研究の木村幸比古さんは、神社の宮司、居合道の達人でもある=京都市西京区の樫原三ノ宮神社(渡辺恭晃撮影)

幕末維新史研究の第一人者、木村幸比古さん(73)は、居合道の範士八段、神社の宮司という顔を持ち、半世紀にわたって二足のわらじならぬ〝三足〟のわらじを履きこなしてきた。日本の近代国家の礎が築かれた時代を駆け抜けた志士らに魅了され、現在も産経ニュースで連載中の「新選組外伝」に健筆を振るう。わかりやすく史実を語り、豪快に笑いながら「秘話」を明かす人柄に、三足のわらじを履く理由が見えてきた。(聞き手・京都総局 鈴木文也)

「新選組外伝」敗者の歴史を知ってほしい

「幕末の黒船来航から新政府設立までの疾走感が魅力」と語る木村幸比古さん=京都市西京区(渡辺恭晃撮影)
「幕末の黒船来航から新政府設立までの疾走感が魅力」と語る木村幸比古さん=京都市西京区(渡辺恭晃撮影)

「新選組や明治維新がブームになる中で、敗者の歴史も知ってほしいの一念。新選組の新たな一面を知ってもらえたら」

執筆する「新選組外伝」では、幕末を駆け抜けた新選組にスポットを当て、「諸説渦巻く近藤勇の首の行方」「女が放っておかない土方歳三の男ぶりと『内藤隼人』の意味」「沖田か永倉か 幕末最強の剣士は誰だ」など、通り一遍ではない新選組の姿やエピソードを紹介する。

国政の動乱期では戦国時代とともに不動の人気を誇る幕末・明治維新。「つい150年ほど前に現代の基礎を作り上げた時代。黒船来航から新政府設立までの疾走感が魅力」と、自らも入れあげた魅力を力説する。その朗らかな口調からは、近藤や土方らの逸話が繰り出され、聞き手はつい話に引き込まれてしまう。

そうした姿勢は、40年以上にわたり携わってきた霊山歴史館(京都市東山区)での企画展でも発揮されてきた。好んで企画したのは、吉田松陰や坂本龍馬、土方といった志半ばで世を去った人物の展示。共通するのは、必ず彼らが最期を迎えた瞬間から展示が始まる点だ。

幕末・明治維新の専門博物館である霊山歴史館。志士らにまつわる史料が展示されている=京都市東山区(渡辺恭晃撮影)
幕末・明治維新の専門博物館である霊山歴史館。志士らにまつわる史料が展示されている=京都市東山区(渡辺恭晃撮影)

「ベートーベンの交響曲第5番『運命』と一緒。『なんだこれは!』で始まった方がおもしろいでしょ」と笑う半面、企画を通じて彼らの志を感じ、その先を築き上げる人になってほしいとの願いも込められている。

下克上や一発逆転の風潮が強い戦国時代と比べ、明治維新は人脈や確かな能力がある人物が出世した。「だからこそ、いまも多くの人があの時代に憧れる」としつつ、「出世した人よりも、志半ばで死んでいった坂本龍馬や新選組にひかれる人が多いのは、果たせなかった夢を追いかけたいと共感するからだろう」。

常に愛情のこもったまなざしで、激動の時代を生きた彼らを見つめ続けた歩みは約半世紀を数える。その始まりは、ある人物との出会いだった。

「雑木もやがて名木に」松下幸之助氏の教え

樫原三ノ宮神社の宮司も務める木村幸比古さん。46年前に神職から幕末維新史研究の世界に飛び込んだ=京都市西京区(渡辺恭晃撮影)
樫原三ノ宮神社の宮司も務める木村幸比古さん。46年前に神職から幕末維新史研究の世界に飛び込んだ=京都市西京区(渡辺恭晃撮影)

阪急桂駅の南西約1・5キロ、京都市の西側に位置する閑静な住宅街にある樫原三ノ宮神社。鳥居をくぐると、幕末維新史研究者とは異なるもう一つの顔、宮司の装束姿で迎えてくれた。

平安時代に起源を持つこの神社の三男として生まれた。生来体が弱く、「ランドセルも背負えないほど」の少年だったという。

国学院大文学部神道学科に進学したが、「将来何になるんかな。ずっと神職やっていくんかな」と漠然とした思いを抱えるようになる。そんな時に「ちょっと難しいけど、発掘とかに携われそうだし面白そう」と学芸員の資格取得を目指した。

卒業後は、父が宮司だった霊山護国神社(京都市東山区)の神職に就いたが、26歳のときに転機が訪れた。向かいにある霊山歴史館(同)から学芸員にならないかと勧誘を受けて「やってみよう」と飛び込んだ。

1978(昭和53)年に霊山歴史館を訪問された秩父宮妃殿下を案内する松下幸之助(右)と木村幸比古さん=京都市東山区(本人提供)
1978(昭和53)年に霊山歴史館を訪問された秩父宮妃殿下を案内する松下幸之助(右)と木村幸比古さん=京都市東山区(本人提供)

ここで、パナソニック創業者の松下幸之助と出会う。松下は、自身が中心となって明治100年にあたる昭和43年に霊山顕彰会を設立し、45年に霊山歴史館を創設。初代館長を務めていた。

「僕が大学で少林寺拳法に熱中していたと聞いた幸之助さんが『馬力があるやつの方が面白いやん』と推してくれた。さらに、名前に同じ『幸』の字が入っていた。幸之助さんはそういう験担ぎのようなことが好きな方だった」とにこやかに振り返る。

昭和50年に学芸員として一歩を踏み出した当初、歴史館の敷地にあった細い松の木を目にし、「黒松にした方がかっこいいでしょ」と松下に提案したことがあった。すると松下から「何を言うてんのや。雑木も100年たてば名木になる。同じように設立間もない歴史館の歴史を作るのが君の仕事やないか」と言い諭されたという。

国内有数の実業家だった松下だが、「僕のような若者にも対等に同じ目線で話を聞いてくれた」。

当時は所蔵品も少なかったため、学芸員として全国各地を訪ねて歩き、徳川慶喜直筆の書や土方歳三の刀など、収集史料は約5600点にのぼる。ときには、志士らの子孫とやり取りをしたことも。つてをたどって元新選組隊士・島田魁のひ孫から、新選組隊士の名簿である貴重な「英名録」も入手した。

「幸之助さんは威厳のある方で、言葉にも説得力があったからこそ、僕も歴史館を充実させたものにしようと取り組んできた」

松下は国家百年の計を創り、実践するためとしてリーダーを育成する「松下政経塾」を創設。幕末・明治維新の志士と通じる気概を感じた。さらに、「人のためになることをしろ」が口癖で紙1枚、ペン1本まで大事にした松下の姿は今も鮮明に記憶に刻まれている。

「『紙やペンを君は作れないだろう。だから大事にするんや』と言われましたね。だからこそ、歴史館の史料も預かり物であり、大事にして次の世代に引き継がなければと感じています」

坂本龍馬や中岡慎太郎、木戸孝允ら志士の墓碑が並ぶ霊山の麓にたたずむ歴史館は、いまも幕末・明治維新の専門博物館として存在感を示している。

剣を抜き心を整える

半世紀にわたり鍛錬を続けてきた居合道。「剣を抜いて心を整えてきた」と語る木村幸比古さん=京都市西京区(渡辺恭晃撮影)
半世紀にわたり鍛錬を続けてきた居合道。「剣を抜いて心を整えてきた」と語る木村幸比古さん=京都市西京区(渡辺恭晃撮影)

シュッ、シュッ。刀が空気を切る音だけが聞こえる空間で、道着姿で折り目正しい所作を繰り返していく。研究者として幕末・明治維新を語るときや、神社の宮司としての穏やかさとは打って変わって、道場での姿は真剣そのものだ。

「こんなに難しい武道はないが、こんなに楽しい武道もない」と、額の汗をぬぐった。「動く禅」とも呼ばれ集中力が必要とされる居合道。坂本龍馬の研究をしていた20代のころ、高知の流派を起源に持つ居合を紹介されたことから始めたが、大学時代に取り組んだ少林寺拳法とは全く違うものだった。「自分と対峙(たいじ)をしなければならない。少林寺拳法と違って相手がいないから、手を抜くこともできるし全て自分次第」と難しさを語る。

「多いときで年間5万回は刀を抜いたかな」。道を極めるために、朝も夜も脇目も振らずに剣を抜き続けてきたという。出張先ではボールペンを剣に見立てて抜刀するほど。そんな生活を送り続けて20年ほど過ぎたとき、これまでと違う景色が見えるようになった。

大学時代に熱中した少林寺拳法で見事な技を繰り出す木村幸比古さん(右)=本人提供
大学時代に熱中した少林寺拳法で見事な技を繰り出す木村幸比古さん(右)=本人提供

「切ったときに空気が分かれて真空が出来上がるのが見えるときがあるんですよ」

研究者としてこれまでに幕末・明治維新にまつわる書籍を100冊ほど執筆してきた。ときには、部屋の天井まで積み重なるほどの膨大な資料を読み解きながらペンを握ることもあったが、納得のいくものが書けなかったり出版しても売れなかったりしたこともあった。

大学時代、少林寺拳法部の主将を務めた木村さん(本人提供)
大学時代、少林寺拳法部の主将を務めた木村さん(本人提供)

そんなときの心の支えが居合道だった。「剣を抜いて心を整えてきた」

令和2年にはこれまでに50人足らずという居合道最高位「範士八段」に到達した。それでも「基本は型にあり、自分の間(ま)を理解することが求められる。まだまだ道半ばですよ」と貪欲に先を見据える。

今も自宅敷地内に構える道場で、自身の鍛錬だけでなく、多くの弟子への稽古指導に努める。

研究者としては、9月中旬に世界遺産・仁和寺(京都市右京区)で公開された「戊辰戦争絵巻」のデジタル彩色で時代考証に携わったほか、10月には、京都・壬生寺など新選組ゆかりの関西の地についてまとめた本の出版を控える。宮司としても、お宮参りに七五三、初詣…とこれからも多忙な日々が続く。「信仰してくれる人がいる限り、伝統をこれからも守り続けていくつもり」

73歳となったいまも三足のわらじを履きこなしてきた秘訣(ひけつ)を問うと、明快な答えが返ってきた。

「穴を掘るときには入り口にロウソクを立てる。自分を信じてまっすぐ道を掘り続ければどこまで行っても光が見えてくる。そう信じて諦めずに努力してきた。それだけです」

木村幸比古

きむら・さちひこ 昭和23年、京都市生まれ。国学院大卒業後、霊山護国神社の神職を務める。50年からは霊山歴史館の学芸員となり学芸課長、副館長などを歴任し、令和2年秋に学術アドバイザーに就任。平成3年には功績が評価され文部大臣表彰を受賞した。幕末維新史研究者としての知見を生かし、「龍馬暗殺の謎」(PHP新書)など多数執筆。NHK大河ドラマや歴史番組などでの時代考証・監修も務める。全日本剣道連盟居合道範士八段。

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