【井崎脩五郎のおもしろ競馬学】ノーベル賞にあやかりたい - 産経ニュース

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井崎脩五郎のおもしろ競馬学

ノーベル賞にあやかりたい

緊急事態宣言の解除と、真鍋淑郎さんのノーベル賞受賞。この2つが重なって、世の中にパッと光がさしたような気がすると、多くの方が思われているのではないだろうか。

長老記者が、「湯川秀樹さんが、日本人初のノーベル賞を受賞した1949年も、慶事が重なったんだよなあ」と教えてくれたので、古い資料にあたってみたら、たしかにそうだった。

終戦(1945年)から間もない1949年8月16日のこと。米ロサンゼルスで開かれていた全米水上選手権大会に、日本から古橋広之進が参加。それまでにも古橋は世界レベルの好時計を日本で連発していたのだが、あんな時計、どうせ焼け跡のオンボロ施設で計測されたインチキだろうと、多くのアメリカ人が頭の隅で思っていた。

ところが、古橋は、自由形の400メートル、800メートル、1500メートルをことごとく世界レコードで勝ってしまうのである。何だ、本当だったんだと驚いたアメリカのメディアは、古橋に〝フジヤマのトビウオ〟というニックネームを進呈。もっと喜んだのは日本人で、頑張れば世界に伍してやっていけると、大きな励ましになった。

その励ましにさらに力を与えたのが、同年11月3日に発表された湯川博士のノーベル賞受賞で、国中を喜ばせたお礼にと、10日後には早々と、ノーベル賞の賞金の免税が発表されている。

この1949年に日本で生まれた鹿毛の男馬が、競走年齢に達したとき、「ノーベル」と名付けられたのは、もちろん、博士の受賞を祝い、偉業にあやかりたいという思いからだろう。

そしてのこのノーベルは、期待に応えて18勝という大活躍をやってのけるのである。重賞レースの数が少ない時代に、重賞をひとつ勝っており、1952年にチヤレンヂカツプ(現チャレンジカップ)を制覇。そのレースでクビ差の2着だった牝馬クインナルビーは、のち、子孫にあのオグリキャップが生まれている。

戦後の復興期の一シーン。馬のノーベルもひと役買っていた。 (競馬コラムニスト)