話の肖像画

元ソニーCEO、クオンタムリープ会長・出井伸之(83)(7)「半導体の岩間さん」思いを継いで

ソニーの創業世代の一人、岩間和夫さん。半導体事業の基盤を築いた =昭和51年(ソニーグループ提供)
ソニーの創業世代の一人、岩間和夫さん。半導体事業の基盤を築いた =昭和51年(ソニーグループ提供)

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《フランス駐在時代に、出張で現地を訪れた岩間和夫さんと親しくなる。ソニー創業世代の一人で、半導体事業の基盤を築いた技術者だ》


岩間さんと二人でお話ししたのはそのときが初めてでした。「松下(松下電器産業、現パナソニック)は素晴らしい会社だ。それに比べてソニーには人材がいないな」と嘆いていたのです。それを聞いて僕は「ここにいますよ」って、自分の顔を指でさしました。

東京オリンピック・パラリンピックでゴルフの競技会場になった霞ケ関カンツリー俱楽部(埼玉県川越市)に連れて行っていただいたこともあります。格式のあるゴルフ場なので、「マナーが厳しいから」と、あれこれとお説教された思い出があります。

帰国してからは、岩間さんと仕事をする機会が増えました。スピーチライターとして原稿を書いたことも何度かあります。どういう相手に何を訴えたいのか事前に伺って、起承転結を考えてアイデアを出しました。聴衆のウケがよかったときにはフレンチレストランの「代官山 小川軒」でごちそうしていただきました。

岩間さんの頼みを一度だけお断りしたことがあります。岩間さんが社長に就任するとき、社長室のスタッフとして声がかかったのです。でも僕はソニーにいる以上、ものづくりが好きだし、製品をいくらでどれぐらい売るのかを考える仕事が楽しかった。社長が引っ張ってくれようとしたのを平社員でありながら断ってしまいました。


《ソニーに入社するきっかけとなったトランジスタラジオの開発に尽力したのが岩間さんだった》


僕は創業者世代の経営者の方々をそれぞれ尊敬しています。その中で、岩間さんは技術にこだわってソニーのトランジスタ、半導体にずっと向き合ってこられた方です。昭和46年に岩間さんがアメリカに駐在することが決まり、「これでソニーの半導体はダメになるよ」とがっかりしていたことがあります。

ちょうどそのころ、技術開発の方向性の見直しが行われており、ソニーは半導体の研究開発にあまり重きを置いていませんでした。

2年後、岩間さんは帰国することとなり、「これから半導体を強くする」と宣言しました。中央研究所の所長としてCCD(電荷結合素子)イメージセンサーを使ったビデオカメラの開発に力を注ぎましたが、実用化には時間がかかりました。


《CCDを搭載したビデオカメラが発売されたのは60年。岩間さんはその3年前、社長在任中に病に倒れる》


CCDの実用化によって、ソニーの技術は「耳」を中心としたものから、「目」に移りました。そしてCCDの技術が今のソニーを支えているCMOS(相補型金属酸化膜半導体)イメージセンサーの技術へとつながっていくのです。

僕が会長だった平成16年、ソニーの利益が少ない時期ではありましたが、熊本工場の拡張を決め、CCDに加えてCMOSを生産できるようにしました。そこには岩間さんをしのぶ気持ちがどこかにありました。

僕の半導体への思い入れは今でも強く、例えば世界の名だたる企業が狙っている次世代半導体技術の特許を多く持つ半導体エネルギー研究所社長の山崎舜平さんを、クオンタムリープとして支援しています。(聞き手 米沢文)