【話の肖像画】元ソニーCEOクオンタムリープ会長・出井伸之(83)(6)合弁交渉に奔走「ソニー・フランス」設立 - 産経ニュース

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元ソニーCEOクオンタムリープ会長・出井伸之(83)(6)合弁交渉に奔走「ソニー・フランス」設立

パリ・シャンゼリゼ通りに登場したソニーのショールーム
パリ・シャンゼリゼ通りに登場したソニーのショールーム

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《留学を終え、いよいよ本格的にソニーの社員としての生活が始まる。東京、スイス・ツークでの勤務を経て、パリに赴任した》


ソニーは各国・地域に当初は販売代理店を置いていましたが、ソニーが出資する現地法人の販売会社をつくって、小売店に商品を直接販売してシェアを拡大する戦略に転換していきました。アメリカにまず現地法人をつくり、次のターゲットはヨーロッパでした。

昭和43年に僕はフランスへ、イギリスとドイツにも同年代の若手が赴任して、それぞれ販売代理店契約を解消し、会社を設立する任務を負うことになりました。そのころフランスでは学生運動が盛んだった(五月革命)こともあって特に規制が厳しく、設立までに一番時間がかかりました。

赴任して間もなく、日本からカラーテレビを輸入する段階で、当時のフランスには輸入制限があってマルセイユの港に着いた荷物を受け取れないという問題が起きました。

現地法人をつくるということは、日本から直接投資をすることになりますが、当時のフランスはこれを厳しく制限していました。規制されたマーケットほど収益を得られることは分かっていたので、認可を得るにはどういう方法があるのか勉強しました。


《パリの目抜き通りにショールームを設けた》


認可が下りるまでの間にも、現地の消費者にソニーのことを知ってもらうため、シャンゼリゼ通りの目立つ場所にショールームを造り、テレビやオーディオなどの製品を並べました。社長の盛田昭夫さんも様子を見にニューヨークから飛んできて気に入ってくれました。

展示してあるものを盗もうとする人を見つけて、僕が捕まえたこともありましたね。「泥棒が来るぐらいだからフランスにもマーケットはあります」なんて言っていました。

フランスの優秀な弁護士と一緒に当局と交渉した結果、フランスの会社との50%ずつの合弁であれば会社設立を認可するとのお墨付きを得ることができました。ところが、どこと合弁を組むかで、本社と僕とで見解が割れました。東京の海外事業部からは、フランスの商習慣では販売代理店と契約を切ることが難しいこともあり、従来の代理店と組むようにとの指示が来ていましたが、僕はその代理店と組むことには問題があると感じていたので、ニュートラルな立場の相手を探しました。

いくつかの金融機関に当たって、スエズ銀行(現クレディ・アグリコル)と折半出資して、3年が経過したらソニーが株式を買い取ることで合意しました。販売会社設立に当たっては、通商産業省(現経済産業省)の熊野英昭さん(後に事務次官)がフランスのジスカールデスタン蔵相(後の大統領)に直接掛け合ってくださり、大変お世話になりました。

それが僕の手がけた金融機関との初めての交渉です。このときの経験がきっかけで、金融の世界に興味を持つようになりました。

本社の意向に反する形で合弁交渉を進めたこともあり、僕は帰国を余儀なくされ、同期2人に後を託し、48年にソニー・フランスは設立されました。初代社長の職は、フランス電子工業会の会長だったジャック・ドント氏が引き受けてくれることになりました。


《創業者の井深大さんと盛田さんの前で宣言した「ヨーロッパを伸ばします」という夢を一歩前進させた》


(聞き手 米沢文)