台湾との交流の懸け橋 ウェブマガジン

日台交流のウェブマガジンにメッセージを寄せた水樹奈々さん (提供写真)
日台交流のウェブマガジンにメッセージを寄せた水樹奈々さん (提供写真)

台湾との交流を深めようと、独自の切り口で情報発信を進めるウェブ交流マガジンがある。「MOBURU+(モブルプラス)」。編集拠点を松山市と台北市に置き、愛媛県、広島県、山口県を中心に島根県、高知県も含めた西瀬戸内地域の観光や物産、イベントなどの情報を発信している。コロナ禍で人の移動が制限される厳しい環境だが、台湾との間で新たな交流を作ろうと奮闘中だ。サイトには、愛媛出身で歌手、声優として活躍する水樹奈々さんもコメントを寄せ、エールを送っている。

お好み焼きの作り方を紹介する動画(MOBURU+の動画より)
お好み焼きの作り方を紹介する動画(MOBURU+の動画より)

もみじ饅頭(まんじゅう)やお好み焼き

モブルプラスは、NPO法人「MOBURU HOUSE」が昨年10月に立ち上げた。松山空港や広島空港に台湾との直行便があることから、両空港を基点に地域と台湾の関係を深めていきたいという狙いがあるという。

日本語と中国語の両方で運営。日本在住の台湾人が圏内の現地を訪ねる動画を配信したり、台湾の大手通販サイトと連携して、台湾であまり知られていない特産品の通信販売も手がけたりしている。

また、広島県では厳島神社で有名な宮島(廿日市市)にある「やまだ屋」で「もみじ饅頭」を作ったり、広島市南区の「オコスタ」でお好み焼きを焼いたり、東広島市の酒造を巡ったりと、海外へは届きにくい地方の情報を、臨場感たっぷりに届けている。

自分で焼いた「もみじ饅頭」を食べるレポーターの台湾人の女性(MOBURU+の動画より)
自分で焼いた「もみじ饅頭」を食べるレポーターの台湾人の女性(MOBURU+の動画より)

水樹さんの原点

水樹さんは愛媛県新居浜市出身。「伊予観光大使」も務めている縁もあって、サイトにコメントを寄せている。

ふるさとについては「新居浜市にはカラオケ喫茶という、お茶を飲みながら歌を楽しむお店が沢山あり、さらにお祭り好きな人が多く、イベントも多々あり、歌手を夢見ていた少女にはとてもうれしい環境でした(笑)」と、歌手としての原点を紹介。

水樹さんの初めての海外ライブは台湾だったという。「空港から熱烈歓迎していただき、さらにライブではファンのみなさんがサプライズで、オリジナル制作したウチワや光るブレスレットを振ってくださったり、日本語で大合唱してくださったり、みなさんの愛に感激、感動の嵐でした‼」と感謝の言葉をつづっている。

「信頼できる友人」

モブルプラスをプロデュースする黒田仁朗さんによると、日台の関係は親密化しており、日本にとって台湾は「信頼できる友人」。訪日台湾人は高いリピート率を示している。新型コロナウイルスの感染状況から都会よりも地方が安全という意識もあるといい、収束後の観光需要にも期待を寄せている。

「台湾人が台湾人のまなざしと言葉で、西瀬戸内海地域の観光や特産品、郷土料理などを紹介。台湾で行われる特産品販売やイベントは現地にいる日本人、台湾人がリポートします」と話し、地方と台湾をつなぐ意義を強調した。

サイトでは、9月からは新連載「林さんが語る『知られざる近藤兵太郎』」が始まった。

映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」で紹介された松山市出身の野球監督、近藤兵太郎さん(明治21~昭和41年)から直接、野球の指導を受けた林司朗さん(松山市)へのインタビュー記事を掲載している。

近藤さんは大正7年に松山商業高校の初代野球部コーチ(監督)に就き、翌年夏の全国大会に初めて出場したほか、台湾に渡って嘉義農林学校(現国立嘉義大学)野球部を率いた。同校は昭和6年に全国大会に初出場して準優勝したのをはじめ、春1回、夏4回の甲子園出場を果たした。戦後、日本に引き揚げ、新田高校で監督を務めた。

林さんは同校野球部員として晩年の近藤さんに出会った。ウェブマガジンでは、マスコミが嫌いで、自分のことを公にすることが少なかったという近藤さんの素顔が語られ、高校野球史ファンには注目のコンテンツとなっている。

また、昨年11月に行われた「バシー海峡戦没者慰霊祭」の様子も掲載。バシー海峡は台湾とフィリピンの間の海で、第二次世界大戦で日本が戦況不利となってからはフィリピン方面に向かう輸送船が次々に米軍潜水艦に沈められ、この海峡での死者は10万人以上といわれる。

戦後70年の平成27年に台湾在住の日本人、台湾人を中心に民間の実行委員会ができ、以降、毎年慰霊祭を営んでいる。

こうした歴史的な事柄も掲載することについて、黒田さんは「日本と台湾の絆を、世代を超えてつなぐ手助けをできれば」と話していた。(村上栄一)