【勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(322)】飛車角落ち 故障者続出 苦しい戦い - 産経ニュース

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勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(322)

飛車角落ち 故障者続出 苦しい戦い

左足に自打球を当てトレーナーに背負われて球場を出る簑田=1986年4月30日、西宮球場
左足に自打球を当てトレーナーに背負われて球場を出る簑田=1986年4月30日、西宮球場

好事魔多し、油断大敵―。この61年シーズン、阪急は故障者続出で泣いた。4月30日のロッテ戦のことである。

4月30日 西宮球場

ロッテ 200 001 000=3

阪 急 061 000 20×=9

(勝)山沖1勝1敗 〔敗〕仁科2勝2敗

(本)リー⑤(山沖)藤田②(仁科)ブーマー③(仁科)石嶺④(伊藤優)

試合は二回に藤田の左翼2ランや福本の勝ち越し二塁打、弓岡の左犠飛、ブーマーの3号2ランなどで6点を奪い9―3で快勝した。

アクシデントは八回に起こった。2死走者なしで打席に入った3番簑田が2―1からのカーブをファウル。自打球を左足すねの部分に当てた。ケンケンをしながら打席を外した簑田が屈伸運動。その時だ。「ボキッ」という鈍い音をグラウンドの収音マイクが拾った。その場にヒザをついて動けない簑田。すぐさま市内の病院に運ばれた。診断は最悪の「左足脛骨の亀裂骨折」全治1カ月。前年も4月の日本ハム戦で頭部に死球を受け、約1カ月間戦列を離れていた。

「なんでこうなるんだ。屈伸運動なんかしなきゃよかった。あれで体重がかかって…」。足をギプスで固定した簑田は病院でうなだれた。

簑田は筆者が阪急担当になって最初に親しくなった選手。「ウチは初めての担当か?」「はい、去年までトラ番でした」「阪神かぁ。セ・リーグの野球とはかなり違うぜ。選手と記者との関係もな」「そうなんですか?」「今から付き合え」「はい!」

2月1日の高知キャンプ初日、ホテルのロビーで4歳上の簑田に誘われて、筆者の勇者番生活が始まった。だから心配でたまらなかった。

5月11日、上田監督はトレーナーの報告に耳を疑った。前日の南海戦(大阪)で完封で4勝目を挙げた佐藤が右ひじの痛みを訴えたのだ。病院での診断は「離断性骨軟骨炎」。12日から三重県津市の小山整形外科へ緊急入院した。

23日に退院した佐藤はチームに帯同しながら調整していた。経過は良好だった。ところが6月11日、練習で120球を投げて痛みが再発。16日に1軍登録抹消となった。〝飛車角落ち〟―。上田阪急は苦しい戦いを強いられた。(敬称略)