日曜に書く

論説委員・別府育郎 金メダルの折れた杖

東京パラリンピック競泳男子100メートルバタフライ(視覚障害S11)の決勝を終えてタッパーと抱き合う木村敬一=東京アクアティクスセンター(桐原正道撮影)
東京パラリンピック競泳男子100メートルバタフライ(視覚障害S11)の決勝を終えてタッパーと抱き合う木村敬一=東京アクアティクスセンター(桐原正道撮影)

パラリンピック残照

力感あふれる泳ぎで迫り来る木村敬一をゴールに迎えるため寺西真人はタッピング棒を突き出した。東京パラリンピックの競泳最終日、男子100メートルバタフライ(視覚障害S11)。コンビが目指した「この日」は本当にやってきた。教師と生徒として出会った中学2年からの木村との長い年月。5年前のリオデジャネイロで金メダルを取らせてあげられなかった悔恨。これが最後、との思いもあった。

タッパーがいなければ視覚障害の選手はゴールに激突する。呼吸が合わなければタイムをロスする。予選では安全運転で正確に頭を叩(たた)いたが、決勝では勝負をかけてぎりぎりまで引きつけ、右ひじを引き上げながら打つ独特のフォームで背中を強く叩いた。万感の思いを込めたその瞬間、木村を悲願にいざなった杖(つえ)は、先端近くで折れた。

木村と富田宇宙で日本勢のワンツーフィニッシュ。だが全盲の選手には自身の結果が分からない。タッパーは全ての泳者がゴールし、審判がレース終了の笛を吹くまで、選手に声をかけることが禁じられている。

寺西は無言で握りしめた左の拳を振り、小さくガッツポーズを繰り返して笛の音を待ち、ようやく木村に告げた。

「1分2秒57。金メダル、おめでとう」

奇声をあげる木村に、富田が抱きつく。寺西はタッピング棒の先でまず富田の頭を軽く叩いて銀メダルをねぎらい、木村の頭に移した。木村が先では大人げないからと、祝福の順番は決めていたが、折れた棒先では少しうまくいかなかった。涙が止まらなかったせいでもある。

「君が代」の号泣

直後のインタビューで寺西のことを問われ、木村は「こんなに時間がかかっちゃって申しわけなかったなって思います」と答えた。控室に戻りながら寺西は、少し文句を言った。「ああいうのは表舞台ではなく、裏で言ってくれよ」。また、涙が止まらなくなったからだ。

表彰台で聴く「君が代」に、木村は体を折って号泣した。全盲の木村は金メダルの色を知らない。揚がる日の丸も見ることができない。国歌は自身の世界一を、何よりしっかりと実感させてくれた。その思いを、寺西は誰よりも知る。2004年、アテネの表彰式で流れた君が代に、教え子の河合純一から同じ感慨を聞いていたからだ。思いは受け継がれる。木村の代わりに、寺西はセンターポールの日の丸を見上げ続けた。

盲学校の教諭となり、水泳部を作った。そこに入学してきたのが河合だった。河合や彼に続く秋山里奈の活躍が「視覚障害者が泳いでもいいんだ、安全なんだ」と新たな文化を生んだ。その自負はある。これを途切れさせてはいけない。そんなころにまだ細く小さかった木村と出会い、水泳部に誘った。木村も河合に憧れて精進を重ね、北京から4度目のパラ大会でようやく手にした金メダルだった。

ロンドン大会の秋山の優勝はターンの側でのタッパーだったので、寺西にとっても河合のアテネ以来、17年ぶりの金のゴールのタッピングとなった。

大会後、所属先の東京ガスで開かれた報告会で、木村は「これで先生の教え子の仲間に入れてもらえたかな」と語った。

これを伝えると寺西は、「またそんなことを…」と言って絶句した。

ブラインドに光を

大会後に31歳となった木村は次の目標を決めていない。3年後のパリ大会についても全くの白紙。「いただいた金メダルをステップに、さらに大きな人間になるために」。小学生のころのように、明日はどんな楽しいことを見つけようか。純粋に、そんな気持ちなのだという。

62歳の寺西は木村のタッパーを最後と決めていた。裏方に回り、育成と発掘に努めたい。水泳やスポーツでなくてもいい。例えば部屋にこもってレコードを聴く子が何か弾きたいと思えるような。ブラインドに光を当てる活動を続けたい。地元のパラ大会が閉幕し、それで終わりとするわけにはいかない。

折れたタッピング棒は、普通なら縁起が悪いからと捨ててしまう。ただ、木村の背で折れたあの棒は、金メダルの代わりに取っておこうと思っている。特に飾ることもなく、今は車のトランクに入れたままだが。

もっとも先のことは分からない。木村がやっぱりパリで連覇を狙いたい気持ちになり、「先生また叩いてよ」と頼んできたら、「どうするかなあ」。(べっぷ いくろう)