朝晴れエッセー

母・10月2日

子供が小さい頃の夏休みは、長崎県五島列島の実家に帰っていた。父が早くに亡くなり母が1人で暮らしていた。

1週間くらい楽しくすごし、朝の船で帰るという日、下の男の子が必ずぼろぼろ涙を流し、声を出さずに泣いた。

「どうしたの、大阪に帰りたくないの?」と聞くと、「ばあちゃん1人になる、かわいそう」と言った。

やさしい子に育ってくれたことが、うれしかった。母は「来年の夏休みも待っとるよ」とやっぱり泣いていた。

あれから30年、私はあの頃の母の年に、2人の子はあの頃の私の年になり、東京と福岡、私は大阪で1人暮らしている。

「おかん、うっとうしい」と間違いなく私が育てた息子の口が言う。

2人とも大学を出し、自立するまでどんなに大変だったか私だけが知っている。

だけど「まあいいか、元気で生きていてくれれば」と思う。口を出さず、見守るだけにしよう。

コロナ禍で1人で考える時間が増えた。あの頃の母の年になり、分かったことがたくさんある。

「母さん、台風が来たら、家が飛びそうでこわかったね、何日も人としゃべらない毎日は、つらかったね。母さん、ごめんなさい」

気が付いたときは、もう遅いね、母さんは、もういない。

田中美保子(68) 大阪市平野区