四條畷神社「一の鳥居」 小楠公の大鳥居復活

新しくなった四條畷神社の一の鳥居。吉野檜で生まれ変わった=9月25日、大阪府四條畷市(沢野貴信撮影)
新しくなった四條畷神社の一の鳥居。吉野檜で生まれ変わった=9月25日、大阪府四條畷市(沢野貴信撮影)

大阪・四條畷市のシンボルだった四條畷神社(同市南野)の一の鳥居が、3年3カ月ぶりに再建された。「小楠公」として国民的人気があった武将・楠木正行(まさつら)を祭るため、市民らが明治政府への陳情を繰り返した同神社が建立されて131年。その2年後に立った鳥居は、平成30(2018)年の大阪北部地震で壊れて撤去されていたが、地元と正行を愛する元青年団長の熱意で、吉野檜(ひのき)の大鳥居(高さ6・91メートル)として復活した。

楠木正行は、後醍醐天皇の建武の新政を実現した忠臣、楠木正成(楠公)の嫡男。『太平記』で有名な桜井の別れで河内に帰って青年武将に成長。後醍醐天皇の崩御後も後村上天皇を護(まも)って足利幕府と戦い、四條畷の合戦で敗死した。父の遺命に従い、少ない手勢で最後まで天皇方として戦った短い一生は、名将として語り継がれている。

以前の一の鳥居。石鳥居で市のシンボルだった(四條畷神社提供)
以前の一の鳥居。石鳥居で市のシンボルだった(四條畷神社提供)

同神社は、正行の遺徳を偲(しの)んで明治23(1890)年に建立された。明治5年に父・正成を祭る湊川神社(神戸市中央区)が、明治天皇の御沙汰で建立されたため、地元の住吉平田神社の神職、三牧文吾氏ら市民が創建の陳情を繰り返し、別格官幣社として建立が認められた。その時の市民らの喜びは、全国からの参拝者のために国鉄片町線(現JR学研都市線)の前身の鉄道敷設を私費で実現したことでもうかがえる。

大阪北部地震で破損

一の鳥居は明治25年、同神社から約600メートル離れた参道に創設された。高さ7メートル近い立派な石鳥居で、国道170号との交差点にあったこともあって、同市のシンボルとして親しまれていた。が、大阪北部地震で一部が損壊。崩落の危険が生じたために撤去された。

再建の話は3年たっても出なかった。楠公と小楠公に対する親しみが戦後、市民の間でも薄れていたことが原因だ。この状況に立ち上がったのが市内で工務店を営む木又誠次さん(42)。25歳で青年団をつくって「畷(なわて)祭」を始め、一の鳥居を神輿(みこし)の出発点にしていたので、鳥居がない3年間は耐えられなかった。

「だれからも声が出ないなら自分で始めよう。檜の鳥居にすれば自分で製作でき、費用も抑えられるし、あとは追々、クラウドファンディングなどで資金援助を呼びかければいいと思いました」

資金集めの前に建立

資金集めの前に建立に踏み切ったのは、良質な吉野檜が見つかったから。大鳥居のためには樹齢200年以上の檜が5本も要る。それが運よく見つかったので1300万円を借金して購入した。

「この檜の鳥居なら100年は余裕で保つ。今は7メートル近い大鳥居をつくるなんて、宮大工でも滅多にないこと。それができたのは大工冥利(みょうり)に尽きました」

残るは資金の調達だ。市民に誇りを取り戻してもらう狙いもあるので、2万1千枚の振込用紙付きのチラシを市内全戸に配布する。「小さな四條畷市が全国で知られているのは、正行の歴史があるからです。正行は市民の自慢です」。一方で、クラウドファンディングの呼びかけを全国に行う予定だ。

5日には同神社で秋季大祭に合わせた第一鳥居再建工事竣工奉告祭が行われる。問い合わせは同神社(072・876・0044)へ。

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