【オリパラ奮闘記】人々が織りなす物語

東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長(左)と記念撮影する筆者
東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長(左)と記念撮影する筆者

コペンハーゲンで2009年10月に行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会で、16年の開催都市に立候補していた東京都は落選しました。当時私は東京マラソンの業務で都に出向していました。招致活動関係の仕事もしており、都庁で開かれた開催都市決定を迎える会の会場にいました。落選が決まった瞬間、ものすごく悔しくて悲しくて、その場から動けないほど号泣していました。

それから4年後の13年9月、ブエノスアイレスでIOC総会が開催され、東京商工会議所での開催都市決定を迎える会の会場で20年の東京開催決定の瞬間を迎えました。今度は何かとんでもなくうれしくて、また号泣していました。

その時、自分自身の中にどのようなイメージがあって悲しくて泣いたのか。またうれしくて泣いたのか。おそらくただ漠然と「オリンピックとパラリンピックはかけがえのないすばらしいものだ!」との認識が強くあったのだと思います。

東京大会決定から丸8年間、深く携わる機会をいただきました。本当にいろいろなことがありました。一つの目標に向かっていく際のある種の文化の違いに戸惑うこともありました。そして新型コロナウイルス禍による1年延期という想定外の事態の対応も経験しました。

それらのことを経験した上で言えることは、やはり「オリンピック・パラリンピックはかけがえのないすばらしいもの」だということです。ただし、それは大会自体というよりも、大会を目指すアスリート、支える家族や仲間、大会をサポートするスタッフやボランティア、それらの人々が織りなす物語がすばらしかったという理解です。

18年5月から連載したこのコラムも東京大会の閉幕に合わせて今回で終了となります。連載を始めたころは、こんなに長く書かせていただけるとは思ってもいませんでした。文章を書き起こすことは自身の気持ちを棚卸しする機会にもなり大変有意義でした。素人の乱文にお付き合いいただいた読者のみなさまに感謝申し上げます。ありがとうございました。(君原嘉朗=アシックス2020東京オリンピック・パラリンピック室室長)

きみはら・よしろう 昭和46年6月10日生まれ、福岡県出身。平成6年にアシックスに入社し、27年から現職。今年50歳になりました。人生100年時代でいうとまだ半分ですが、今後も将来世代にわたり、誰もがより心身ともに健康的で居続けられるサステナブル(持続可能)な世界の実現に向けて活動していきたいと思います。