安倍や麻生は、昨年の総裁選で、支持を求めた岸田に「情念が足りない」とみて応えず、現首相の菅義偉(すが・よしひで)を担いだ経緯がある。今回、安倍が「岸田首相」の誕生を側面支援したのは、岸田がトップの座をつかむため、これまでにない闘志をみせたことを好意的に受け取ったからでもある。
出馬会見を翌日に控えた8月25日、岸田は東京都内のホテルで、総裁選で打ち出す政策の詰めの作業を進めていた。側近の若手議員と練り上げたのは、党役員の任期を最長連続3年に制限する改革案。幹事長を5年も続ける二階俊博への宣戦布告となるが、岸田は翌日の出馬会見で、「権力の集中と、惰性を防いでいきたい」と厳しい口調でこの方針に言及した。
かねて岸田は「線が細くて地味」と評されていた。ただ、この会見が引き金になったのか、総裁選での再選を目指していた菅は、二階の交代を含む党役員人事の刷新案と9月中の衆院解散などの奇策を検討。これが猛反発を浴び、結局出馬断念に追い込まれた。
安倍は総裁選の投開票直前、「岸田さんは運も向いてきた」とも周囲に語った。
「この3連休が勝負だと思っていた。ずっと前からやっていたんだから」。菅は総裁選告示の直後、3連休最終日の9月20日、複数の報道機関による世論調査で総裁選に立候補した4氏の中で河野が圧倒的な支持を集めた報道を見て、周囲にこう満足そうに語った。菅が河野支持を打ち出したのは総裁選が告示された17日だ。だが、菅は3日に総裁選不出馬を表明した直後から業界関係者に河野支援を呼びかけるなど、水面下ではフル回転していた。
29日投開票の総裁選の党員・党友票の投票締め切りは28日だった。菅は全国の多くの地域で3連休の報道ぶりが党員の投票先を左右するとにらんでいた。菅は「選挙を間近に控えた議員は心理的に党員の意向は無視できない。党員票で圧倒すれば議員票は河野に流れる」とも語っていた。河野は国会議員票では終始、岸田に先行されていた。党員・党友票で圧倒し、その勢いで議員票も上積みする形でしか勝利はつかめないとみていた。
河野は政策面でも保守層への配慮をみせた。告示1週間前の出馬会見では、「脱原発」や女系天皇容認といった持論を封印。北朝鮮による拉致被害者の救出を願う「ブルーリボン」を着用してみせた。
だが、その後、河野は急速に失速する。
誤算の一つは幹事長代行、野田聖子の総裁選出馬だった。選択的夫婦別姓制度賛成など野田とは主張する政策が似ている上、高市に続く女性議員の出馬で河野から野田に票が流れるおそれがあった。事実、河野は野田の出馬直前、周囲に「野田さん、本当に出るのかな」と気にするそぶりをみせていた。
河野自身が〝自滅〟した面もあった。候補者による討論会では持論である年金制度改革を打ち出した。河野には誰よりも年金制度に精通するとの自負があり、論戦に負けない自信があった。だが、大幅な消費税増税につながる可能性を指摘され、他の3候補から集中砲火を浴びた。側近らは「触れないほうがいい」と進言したが、河野は聞く耳を持たなかった。衆院選の「顔」として河野に期待した中堅・若手も「選挙中に失言されたらたまらない」と動揺が走った。
主流派と反りの合わない元幹事長の石破茂や脱原発で歩調を合わせる環境相の小泉進次郎と共闘したことも国会議員離れを招いた。河野陣営の一人は「何の相談もなく撮影会をしたり、全く陣営の態勢はバラバラだった」と振り返る。
「党員や地方の意向を無視したら衆院選は危ないですよ」。焦る河野は投開票日前日、幹事長の二階俊博と面会後、二階派幹部にこう言い放ったが、後の祭りだった。頼みの党員票の獲得も全体の過半数に届かず、支援した議員は思わずこうぼやいた。「『国民からの人気』を主張するなら、せめて5割はとってもらわないとな」