話の肖像画

台北駐日経済文化代表処代表・謝長廷(75)(27)烏山頭ダム着工100年、続く日台の絆

烏山頭ダム着工100年を祝い、日本人技師、八田與一氏の銅像に花を手向ける頼清徳副総統=5月8日、台南市(共同)
烏山頭ダム着工100年を祝い、日本人技師、八田與一氏の銅像に花を手向ける頼清徳副総統=5月8日、台南市(共同)

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《台湾の「中華民国」との外交関係を日本が断ってから、9月29日で49年が経過する》


私が日本政府の国費留学生として研究生活を始めた京都大の大学院生時代、1972年の断交はいま思い出しても確かにショックでした。そうした個人の記憶もさることながら、公的な場面ではさらに厳しかった。

例えば、東京の元麻布にあった「中華民国駐日大使館」は日本の断交によって明け渡さねばならなくなり、台湾の大使館員は重要書類を燃やすなどして片付けて、館内のカギをすべて日本の外務省に渡したそうです。現在は「中華人民共和国駐日大使館」になっている建物です。

一方で、台湾が守り抜いたケースもありました。東京中華学校や横浜中華学院、大阪中華学校などは日本にいた華僑がさまざまな圧力にも屈せず、中国側に明け渡さずに済みました。難しい政治状況で、民間の努力が結実した貴重な歴史でした。

来年は断交50年。日本や中国からみれば日中国交正常化50周年かもしれませんが、台湾はむしろ日本との間の「100年の絆」を大切にしたいですね。


《100年の絆とは》


台南市で今年5月8日に行われ、蔡英文総統が出席した式典がありました。日本人技師の八田與一(はった・よいち)が戦前、台湾で建設した烏山頭(うさんとう)ダムの着工100年を祝うためです。このダムと灌(かん)漑(がい)設備によって、台湾中南部は広大な穀倉地帯に変わりました。農民は今も感謝しています。

この日の式典は八田技師の出身地、石川県の関係者ともオンラインで結ばれ、心を通わせました。そうした民間の絆は外交関係にかかわりなく、台湾と日本の間で続いているのです。

蔡総統は式典で、「100年前に烏山頭ダムを造った八田與一の先見の明、勇気と実行力を学び、台湾と日本は新型コロナウイルス対策や気候変動問題などで協力関係を緊密にし、100年後の子孫に良い環境を残せるよう努力したい」と話しました。台湾はさらに次の100年に向けて、日本との絆を強めたいとのメッセージでしたね。

関連イベントも含めて、この日は頼清徳副総統、蘇貞昌行政院長(首相に相当)も出席しました。台湾トップ3の参加は異例ですが、それほど日本との絆を重要視している表れです。


《日本統治時代に台湾で数々のインフラ建設が進んだ》


ぴったり100周年でなくてもいいのです。鉄道網や鉄道の駅舎、学校や街並みなど、日本人との深いかかわりが残されているのが台湾です。インフラや建築だけではなく、農業や工業、教育や衛生、医療など目に見えない遺産も数多いです。

戦前、50年間に及んだ日本統治時代、台湾では日本への抵抗も実際ありました。ただ仮に100年前にタイムマシンで戻ることができたなら、あの時代の台湾の姿は、経済発展や文明の高さでアジアでも随一の存在だったと理解できるでしょう。

台湾の「中華民国」は10月10日を「双十節」として国慶記念日にしています。新型コロナ禍で昨年は日本での双十節式典はできませんでした。今年の式典では「台湾と日本の100年の絆」を強調するつもりです。

世紀を跨(また)ぎ、時空を超えた台湾と日本の人と人の心の結び付きが綿々と受け継がれていますし、この次の100年も子供や孫、その子供たちに連なる絆を残したい、と願っています。

台湾にとって日本の存在は歴史的に特別です。日本の方々もその歴史と思いを共有していただければありがたいですね。(聞き手 河崎真澄)


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