門井慶喜の史々周国

古代から現代まで交通の要所 東京・品川寺 

都会の古刹、品川寺。幕末にパリ万国博覧会に出品後、所在不明になったものの約60年後に里帰りした大梵鐘が有名だ=東京都品川区(筆者撮影)
都会の古刹、品川寺。幕末にパリ万国博覧会に出品後、所在不明になったものの約60年後に里帰りした大梵鐘が有名だ=東京都品川区(筆者撮影)

品川寺。

ほとんどの人がシナガワデラと読むのではないか。私もそうだった。正しくはホンセンジ。ただし所在地は東京都品川(しながわ)区だから少しややこしく、さらにややこしいのは同区内には品川神社もあることで、こちらはシナガワ神社と読むそうな。

順を追って言えば、おそらくは品川(しながわ)という地名がまずあって、そこへ寺ができて、寺号を音読みにしたのではないか。どうもそんな気がする。そういえば浅草(あさくさ)にあるのも浅草寺(せんそうじ)だったなあとも思い出されて、某日、東京での仕事の帰りに寄ってみた。

京急「青物横丁」という小気味いい名の駅で降りて、旧東海道へ出る。いまは商店街になっているらしい。その道ぞいに品川寺はあった。境内はあまり広くなく、通りのざわめきが聞こえて来るが、いちょうの古木のさりげなく立っているのが空気をしっとりさせている。いかにも都会の普段着のお寺。お参りをすませて、門を出て、ふりかえると門には表札のようなものがかかっている。その左右の手前には大きな提灯(ちょうちん)も置かれている。

入るときにも見たものだが、それらに掲げられた寺号の字を、私はやっぱりシナガワと読んでしまった。ほとんど反射運動である。これまで新幹線や山手線の車内放送などで数えきれぬほどその名を耳にしたため、容易に頭から離れないのにちがいない。しかしよく考えてみれば、その音(おん)の定着の度合いほどには、私は品川の歴史を、

――知らないな。

そんな気もした。これはちょっと盲点だった。どれ、ちょっと仕事場で調べてみようか……旅にはこんな効用もある。帰ってから勉強する気になるのである。

品川の地は、古来、武蔵国荏原(えばら)郡に属する。

「荏原」の地名なら確実に奈良時代までさかのぼることができる。その字のきざまれた瓦やレンガが出土しているからである。名前の由来はいろいろ説もあるのだろうが、いちばん楽しいのは「荏胡麻(えごま)がたくさん生えているから」。

自然に群生していたのか、それとも人の手で畑がつくられていたのか。現在はその紫蘇(しそ)に似た葉っぱが韓国料理でよく使われる。コチュジャン風味の醤油(しょうゆ)漬けなどはなかなかごはんに合うものだが、しかし歴史的には何といっても種子のほうが重要だった。それは五十パーセントほどの乾性油をふくんで、搾(しぼ)ると良質の灯油(灯火用の油)が採れるのである。

一例が『源氏物語』である。「帚木(ははきぎ)」の巻において光源氏が雨の晩に本を読むため燃やした「御殿油(おおとのあぶら)」は、武蔵産かどうかは別として、この荏胡麻の油だろう。その後も鎌倉、室町、戦国から徳川時代初期まで、少なくとも六百年をはるかに超える長い年月のあいだ、このシソ科の一年草は、夜の一部を昼にして日本の読書文化をささえつづけたのである。

その荏胡麻の里(?)荏原郡のなかでも、東京湾に面した河口の街がつまり品川にほかならなかった。いったいに河口の街というのは堺や大坂などにも見るとおり、しばしば荷物の積みおろしの仕事の場所、つまり港になるもので、品川もおなじである。

何しろその川の名からして、モノが行き交う川だから「品川(しながわ)」だという説もあるくらいである(もっともこれは多少安易な気もするが)。現在の目黒川に比定されるか。もしかしたら荏胡麻の油も甕(かめ)か何かに入れられ、船に積まれ、品川という川を下って品川という街から太平洋へ出たのかもしれない。

そうして全国いろいろの地へ運ばれていったのかもしれない、などとおおらかに想像するのは胸のすくことだ。徳川時代に入ると品川は東海道第一の宿駅に指定され、陸路の主点になったことはよく知られている。さらに明治期には日本初の鉄道が敷かれ、第二次大戦後には広大な直線そのものの第二京浜国道が整備されてモータリゼーションの時代の大動脈となり、新幹線の駅もできて……。

要するにそこは、古代から現代まで一貫して交通の要所でありつづけている。こんな場所はなかなかない。何というか、そう、品川は地味にすごいのだ。

と、そこまでわかったところで気がつくと、窓の外が暗かった。机の上には本や辞典や図録のたぐいが雑然と積みあがっている。

ずいぶん熱中したらしい。怠け者の私にはめずらしいことだが、おそらくは、おなじ勉強をするのでも現地を見たか否かで頭への入りかたがちがうのだろう。私はそれらを片づけて、電灯を消し、仕事場を出た。これもあの都会のお寺のご縁かなと思いながら。

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