【話の肖像画】台北駐日経済文化代表処代表・謝長廷(75)(26)台湾版新幹線にも日台の絆 - 産経ニュース

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台北駐日経済文化代表処代表・謝長廷(75)(26)台湾版新幹線にも日台の絆

台湾高速鉄道の試運転に行政院長として試乗した謝長廷氏(右から3人目)=2005年11月6日
台湾高速鉄道の試運転に行政院長として試乗した謝長廷氏(右から3人目)=2005年11月6日

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《2005年に行政院長(首相に相当)に就任した》


民進党の陳水扁政権2期目のときです。日本との関係で思い出深いのは当時、建設中だった高速鉄道(台湾版新幹線)に05年11月6日、行政院長として初めて試乗したことです。台湾メディアに加えて日本など海外記者にも公開され、あなた(河崎)も一緒でしたね。営業最高速度の時速300キロを台南地区で体験して、その歴史的瞬間にまるで小学生のように興奮しました。

京都大大学院への留学時代など、日本の新幹線に何度か乗ったことがあって、当時は日本が羨(うらや)ましいと感じていました。

それが台湾の地で日本製の高速鉄道車両が快適に走って、時速300キロを味わうことができたのは格別な気持ちでした。台北―高雄間の距離約345キロを1時間半で結ぶ高速鉄道をさまざまな困難を克服して実現できたことは実に幸いでした。


《どんな困難があったか》


資金面の問題は大きかったですね。民間企業のプロジェクトでしたが、当初は欧州製の高速鉄道技術を導入する方向で計画が進んでいたものの、(地震や台風など災害対策もあり)日本の新幹線技術に切り替えた経緯がありました。当初計画よりも建設に遅延があるなどして、行政院として航空関連基金から70億台湾元(現在のレートで約280億円)を支援しました。

一部で欧州から導入した技術と日本から導入した技術が混在する部分があり、現場はその調整に非常に苦労したと思います。JR東海をはじめ、日本側の真摯(しんし)な協力に感謝しています。

結果的に日本製の車両が走って本当によかった。日本のNHKと台湾公共放送PTSが共同制作して、昨年5月に放送されたテレビドラマ「路(ルウ)」にも描かれました。

日本でも台湾でも、このドラマを見て新幹線で結ばれた日台の絆を改めて感じた人も多かったのではないでしょうか。


《1945年まで50年にわたって台湾を統治した日本との絆がなおも深いのはなぜか》


史実として、日本は台湾を侵略して支配したのではありません。日清戦争に勝利した日本が1895年に、当時の清国(現在の中国)から台湾を割譲されて自国の領土にしたのです。

高速鉄道を建設するよりもずっと以前から、戦後台湾の経済や産業の発展は技術や資金などの面で日本企業との連携が鍵を握っていました。海運や航空の長栄集団(エバーグリーン・グループ)などが好例です。

戦前、日本語教育を受けた台湾人が戦後、日本語で日本企業との橋渡し役を担い、日本からの技術や資金の導入、日本や海外との輸出入などで大きな役割を果たしたことが要因です。


《中国大陸から戦後渡ってきた国民党との対比もある》


台湾で生まれ育った台湾人を弾圧して、戒厳令も38年にわたって敷くなど、いわば法治とはいえなかった戦後の国民党一党支配の時代が続きました。

同じような冤罪(えんざい)に近い容疑で身柄を拘束されたとしても、1人は逮捕後に終身刑に処され、別の1人は無罪放免されるというようなケースもありました。法治社会ではなかったのです。

むしろ戦前の日本統治時代の方がしっかり法治が行き届いてはるかに良かった、と考えていた台湾人も多かった。1987年の戒厳令解除まで、国民党政権の教育は「反日」でした。李登輝政権になって初めて、公平な評価がスタートしました。(聞き手 河崎真澄)

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