話の肖像画

謝長廷(25)総統選投票前日、衝撃の銃撃事件

銃撃された陳水扁総統(中央)と呂秀蓮副総統(右)が乗った選挙カー。フロントガラスの左に弾痕が見え、陳総統の腹部は血に染まっている=2004年3月、台湾地元テレビの映像(AP)
銃撃された陳水扁総統(中央)と呂秀蓮副総統(右)が乗った選挙カー。フロントガラスの左に弾痕が見え、陳総統の腹部は血に染まっている=2004年3月、台湾地元テレビの映像(AP)

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《2000年の総統選で台湾初の政権交代が実現した》


台湾で2度目の直接投票による総統選となった00年、盤石と思われていた国民党候補を破って民進党の陳水扁(ちん・すいへん)氏と呂秀蓮(ろ・しゅうれん)氏の正副総統候補が当選し、初めて政権交代を成し遂げたことは快挙でした。

私は1998年に高雄市長選で当選していました。高雄など南部は伝統的に反国民党の勢力が強いエリアで、79年12月に民主化運動を弾圧した美麗島事件が起きた場所でもあります。2000年の総統選では私もその高雄から、民進党政権の誕生に向けて支援していました。

その総統選では国民党から離党して出馬した大物候補がいたため、国民党支持層の票が割れたことが民進党に有利に働いた可能性はあります。ただ台湾の民意は一党支配を長年続けた国民党ではなく、台湾の自主自決を求めた民進党に傾き始めていました。結党からわずか14年。戦後50年以上も続いた国民党政権に終止符を打ったことに、われわれは興奮を隠せませんでした。


《04年には再選された》


総統と副総統の任期は4年で再選は1回まで。米大統領と同じです。04年の総統選で民進党政権は再選を目指していましたが、国民党で対抗馬となった連戦(れんせん)氏が民間の世論調査でじりじりと支持率を伸ばし、選挙前年の03年の暮れ以降、双方の支持率は拮抗(きっこう)する状況でした。

その04年の投開票日を翌日に控えた3月19日、衝撃的な事件が起きたのです。台南市を訪れて車上で有権者らに手を振っていた陳氏と呂氏が、銃撃されて負傷しました。事件の一報を聞いて、私はすぐ高雄市から台南市に向かいました。実はその日の午前、陳氏と呂氏は高雄市で遊説し、私も同じ車上にあって市民に支持を訴えていたのです。仮に事件が高雄市で起きていれば、私も負傷するか、死亡する運命だったかもしれません。非常に危険な状況でした。台湾では何度も政治テロがあり、陳氏の奥さんも、かつて交通事故で下半身不随になる重傷となりましたが、テロだったとの見方をする人も少なくありません。


《陳氏らはどうなった》


事件現場から2人はすぐ台南市内の病院に収容され、付近は厳重な警戒が敷かれていました。事件当時、陳氏らを歓迎する台南市民らが祝いの爆竹を鳴らしており、陳氏らを狙った銃声には誰も気付かず、犯人の目撃情報もなかったのです。

2人を乗せたオープンカーのフロントガラスを通貫した1発目の銃弾が、まず呂氏の脚に当たり、さらに2発目が陳氏の腹部に当たって多量の出血をしました。すぐにエックス線撮影をしたところ、陳氏の上半身に弾丸の影がみえましたが、よく探すと体内ではなくジャンパーの中で止まっていて、ホッとしたことを覚えています。腹部を浅くかすった擦過傷で、呂氏の傷も浅かった。


《暗殺事件だったのか》


いろいろな陰謀説や自作自演説も当時は流されましたが、私はこの目で2人の負傷を見ました。噓も偽りもありません。

残された弾丸や銃の威力などからみて、自作の小銃から発砲されたとみられます。もし暗殺計画が政治目的で組織的に行われたのなら、もっとしっかりした武器を使うはずではないでしょうか。

無事に行われた翌日の投開票で、得票率わずか0・228%の差で陳氏と呂氏は再選されます。銃撃事件が選挙結果に影響したかどうかは、今も分かりません。ただ事件後すぐに与野党とも選挙活動をすべて中止し、投票前夜の台北でのイベントも行われませんでした。あるいはこれが陳氏らに少しは有利に働いたのかもしれませんが。(聞き手 河崎真澄)

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