書評

『ランニング王国を生きる』 文化人類学が解く走る強さ

本書は、文化人類学者で、フルマラソンを2時間20分で走る著者が1年3カ月にわたり、エチオピアに滞在して現地のランナーとともに過ごした研究成果に基づいている。エチオピアは1960年ローマ五輪の男子マラソン金メダリストであるアベベの時代から陸上競技で長距離・マラソン界を牽引(けんいん)してきた。

今夏の東京五輪でも長距離種目で男女合わせて4つのメダルを獲得した。マラソンの歴代記録では現時点で男女とも上位10人に3人が名を連ねている。隣国ケニアは男子7人、女子5人で、さらに強さをみせている。

長距離・マラソン界でこれら東アフリカ勢が圧倒的に示す強さの理由には多くの識者がさまざまな説を述べている。血液中のヘモグロビン値の高さや優れた持久力をもたらす遺伝子などの「科学的な」検討の一方で、貧しい生活や幼い頃から日々走らざるを得ない生活環境に理由を求める説が根強く語られる。

これに対して著者は文化人類学でいう「参与観察」、つまり「共に暮らし、共に走る」という独特のアプローチによって、厳しいトレーニングを積むにはお金と時間がかかり、貧困層出身者が活躍するのは難しいことを示した。一方で、トップランナーを目指す多くの若者はレースで得られる高額の賞金で人生を変えたいと熱望している厳然たる事実も明らかにしている。

著者はエチオピアの独特のランニング文化に関心を寄せている。確かにこの国には私たちの感覚からはかけ離れた「常識」が存在するようだ。標高3千メートルの薄い空気から特別なエネルギーを得られると考え、「素質」という概念がなく、正しく努力すれば誰でもすばらしい能力を発揮できると信じている。時には呪術によってライバルから走るためのエネルギーを奪われることもあるらしい。

忙しく現代的な生活を送る中でなぜ自分は走るのか? その答えを探している人にはじっくりと読んでいただきたい。

優れた翻訳のため300ページ余りでもスムーズに読み進めることができる。索引から気になるキーワードを見つけて読み返すこともできる。個性豊かな多数の人物が登場するため、彼らの一覧が冒頭に示されているのも熟読玩味の助けとなるだろう。(マイケル・クローリー著、児島修訳/青土社・2420円)

評・三本木温(山梨学院大教授 ランニング学会理事)