信玄の父、武田信虎を映画化 暴君否定し再評価へ

武田神社での祈願後に取材に応じる(右から)金子修介監督、寺田農さん、平山優さん=甲府市(平尾孝撮影)
武田神社での祈願後に取材に応じる(右から)金子修介監督、寺田農さん、平山優さん=甲府市(平尾孝撮影)

悪逆非道の君主、覆す

信虎は粗暴で傲慢な性格で、諫言(かんげん)した家臣を手討ちにしたり、残虐な行動が多かったと伝えられ、暴君、悪逆非道の君主とされてきた。映画ではそういった伝承、通説を覆す。

主人公の信虎は信玄から駿河に追放された後、京都で足利将軍に仕えていた。80歳になっていた信虎は信玄の上洛を心待ちにしていたが、信玄が危篤に陥っていることを知る。武田家での復権の好機と考えた甲斐への帰国を目指す信虎。信玄が死に、勝頼が後を継いだことを知ると、自身が返り咲くことが武田家を存続させる道と勝頼らに説くが、織田軍との決戦にはやる勝頼に退けられる。それでも、武田攻めの最中だった上杉謙信に武田攻めをやめるよう求める書状を届けるなど、武田家存続のために知略を働かせる。

「物価上昇が背景」

平山さんは「信虎がいなければ、信玄の時代は来ず、武田家の飛躍もあり得なかった」という。信玄による信虎追放についても「物価上昇などの経済的な疲弊が追放の要因」と分析し、暴君説を否定する。

当時の甲斐国は、敵に囲まれ事実上経済封鎖された上、凶作などで物価高騰や飢饉(ききん)が起き、領民の反発が高まっていた。こうしたなかで、危機感を抱いた信玄とその周辺が、信虎を追放する無血クーデターを起こし、批判を信虎へと向けたとみる。信玄が徳政を実施する中で、信虎を悪しく評価する歴史になっていたと推測する。