【勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(317)】「阪急担当」拝命 番記者少なく好待遇 - 産経ニュース

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勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(317)

「阪急担当」拝命 番記者少なく好待遇

阪急の高知キャンプ。三塁側スタンドの後方に高知城が見える
阪急の高知キャンプ。三塁側スタンドの後方に高知城が見える

昭和60年シーズンは日本中がタイガースの優勝景気に沸いた。筆者もトラ番記者として〝奇跡の優勝の目撃者〟となった。その年の12月、阪急担当を拝命した。

ここでトラ番記者との〝違い〟をちょっとご説明しよう。一番の違いは「一人担当」。3~4人で担当するトラ番と違い、ニュースの抜いた抜かれたの責任はすべて自分にかかってくる。

61年2月、高知キャンプで筆者は感激した。阪急担当記者の宿舎は球団が手配してくれた「高知新阪急ホテル」(現在のザ クラウンパレス新阪急高知)。もちろん1人1部屋だ。お風呂もテレビもあれば部屋の中は空調が効いて寒くない。そして静か…。

筆者がトラ番記者として初めて行った高知・安芸キャンプの宿舎は「小松旅館」という古い民宿。先輩たちやそのまた先輩たちの時代から新聞各社が長年「小松」に宿泊した。

玄関は大きなガラスの入ったガラガラ戸。そのすぐ2階がサンケイスポーツの部屋。6畳2間に記者4人、カメラマン2人が約1カ月寝泊まりする。仕切りは襖(ふすま)だけ。押し入れは黒幕を張り巡らし仮設の暗室になった。暖房器具は炬燵(こたつ)が2つだけ。

先輩たちから寝心地のいい場所を取り、一番先に起きて朝の体操取材に出かける筆者の寝場所は部屋にはなかった。部屋から出た階段の踊り場(畳)に布団を敷いてもらってそこで寝る。階段の下はすぐ玄関。夜中に帰ってきた記者たちが戸をピシッと閉めないので、冷たい風が吹き込んでくる。筆者はいつもジャンパー姿の着の身着のままで布団に入った。

当時、小松旅館には家庭用の風呂しかなく、各社の先輩たちから入るため、筆者の番にはもうお湯がない。毎日、勢いの弱いシャワーで済ませた。それでも、楽しかったし、苦でも何でもなかった。

阪急は〝天国〟のように感じた。担当記者には取材用のジャンパーと帽子が配布される。それは阪神でも同じだが質が違った。阪神のジャンパーは裏無しのペラペラのウインドブレーカーで背中に大きなトラのマーク。阪急は黒のリバーシブルで裏はコール天地。襟や裾、手首は阪急カラーのえんじ色で白のラインが2本。左胸に白で「Braves」の刺繍(ししゅう)が入っていた。

どうしてこんな差が? 「ウチは担当記者が少ないから」と広報。悲しい現実でもあったのだ。(敬称略)