「書店のないサハリンで僕の本が」 村上春樹さんが秘話

――日本文化を世界に発信する重要性について

「文化の発信といわれてもね、なかなか本人としてはよくわからない。ただ一生懸命働いているだけで。

ただ、僕は10年くらい前にサハリン(樺太)に行ったことがありまして。今は知りませんが、その頃のサハリンは書店が一軒もなかった。どこでみんな本を買うかというと、公園や市場に行商の人が来ていて、テントに本を並べて売っているんですよ。フェリーか何かで本を担いで持ってきて、並べて売っているんです。その中に僕の本が結構ありまして、びっくりしました。重い思いをしてサハリンまで本を運んできてくれるのが、すごくうれしかったです。一種の感動だったし、本を書いていてよかったと思いました。そういうことって大事ですよね」

――施設を設計した隈研吾さんが村上さんの物語を「トンネル構造」と例えた感想と、翻訳文学の可能性について

「現実の世界と異次元の世界を行ったり来たりというか、最後には自分がどっちにいるのか分からなくなる…というのが僕の小説の一つの在り方。それをトンネルという形で捉えられるというのは、確かにそのとおりかなと思います。僕はいつも洞窟とか井戸とかトンネルとか、そういうものに興味があるみたいです。

僕は小説家ですけど、小説を書きたくないときには小説を書かないんです。そういうときはだいたい翻訳をしています。だから効率がいいというか、とても健全な生活を送っています。翻訳はもう四十何年やっているんで、少しずつうまくなってきている。それは僕自身にとってすごくうれしいこと。というのは、翻訳は技術ですから。技術は磨けるんです。小説というのは技術だけじゃなかなか磨けないところがあります。

僕の小説を訳している海外の翻訳者はたくさんいるんですが、そういう人たちとはなるべく連絡を取って話し合って、仲良くやるようにしています。翻訳というのは本当に大変な作業だし、報われなくちゃいけない。(同館も)そういう翻訳者たちをバックアップする機能を備えていきたいと思います」

――半世紀前、どういう学生だったのか

「僕らのころはストライキなどで授業があまりなかった。だから、大学の外で学んだことの方が多かったような気がします。

愛校心も特になかった。(校歌の)『都の西北』ってありますよね。♪都の西北(せいほく)、早稲田の森に…。その後(の歌詞を)知らないんですよ。(最近まで)野球の応援歌だと思っていました。あんまりいい学生じゃなかった。でも、早稲田というのは、あんまりいい学生じゃなくてもそれなりに受け入れてくれるようなところがありまして。その辺は気が楽でした。

この前、文学部の入学式であいさつをしたんですが、学生がみんな小ぎれいでびっくりしました。僕らのころは本当に汚くてね、入学式であいさつしたら何か飛んでくるんじゃないか…と思うくらいで。でも、今はみんなおとなしくて礼儀正しくて小ぎれいで、感心しました」

>村上春樹さん「文化の発信基地に」 早大で会見