勇者の物語

1%の逆転劇 田中オーナー「吉田監督誕生」に執念 虎番疾風録番外編316

就任会見での(右から)久万俊二郎新球団オーナー、吉田義男監督、田中隆造球団オーナー、小津正次郎球団社長
就任会見での(右から)久万俊二郎新球団オーナー、吉田義男監督、田中隆造球団オーナー、小津正次郎球団社長

■勇者の物語(315)

10月23日午後3時から大阪・梅田のホテル阪神で、タイガースの第23代監督が発表された。金屛風(びょうぶ)の前に座っているのは誰もが予想した村山実ではなく吉田義男だった。

「来年は球団創設50周年にあたり、人心を一新してチーム作りに臨むことになりました。安藤監督が辞めたあとの後任として、西本さんにお願いしたが実現できなかった。後任監督はその西本さんをよく理解している吉田君に決定いたしました。新体制で阪神タイガースをしっかり立て直してほしいと思っています」

田中オーナーの横で吉田監督が頰を紅潮させている。

99%の村山案が吹っ飛び、1%のどんでん返し。この日、午前中に行われた役員会議は、田中オーナーの〝一人舞台〟だったという。

「どうしても、もう一度、わたしは吉田君を監督にさせてやりたい。みんなの意見(村山案)を覆して吉田君を監督にすることは私のわがままです。私はオーナー職を辞します。ですからなんとか頼みます」と頭を下げた。

球団オーナーの職を〝代償〟にしてまで、なぜ、田中は「吉田監督誕生」に固執したのだろう。そのわけは第1次吉田体制の3年目の52年まで遡(さかのぼ)らなければならない。

52年、阪神は前年の2位からBクラスの4位へと転落した。それでも球団は早々と吉田監督の留任を発表した。ところが、この決定にマスコミが大反発した。

当時の吉田体制は崩壊状態。不振の責任を取らされる形でのコーチの首のすげ替えが頻繁に行われた。自分が連れてきたコーチをコロコロと代えてしまう。そんな吉田監督に「信なし」とマスコミは批判したのだ。そして「吉田を辞めさせろ!」という世間の声に押された阪神は11月2日、吉田監督の「解任」を発表した。その発表記者会見を当時、オーナー代行だった田中が務めたのである。

『私としては吉田監督にまだやってもらいたい。が、情勢には勝てず、断腸の思いでここは引いていただくことにした。今後、私が球団に関与し、機会が巡ってくるなら、吉田君にもう一度采配を振るうチャンスを与えたい』

断腸の思い―から8年間、田中オーナーはこの日がくるのをずっと待ち続けていたのである。(敬称略)

■勇者の物語(317)

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