古典個展

思ひて学ばざれば… 大阪大名誉教授 加地伸行

9日、アフガニスタンの首都カブールの空港で、車の荷台に座るイスラム原理主義勢力タリバンの戦闘員ら(AP)
9日、アフガニスタンの首都カブールの空港で、車の荷台に座るイスラム原理主義勢力タリバンの戦闘員ら(AP)

相変わらず新型コロナ禍の日々、お年寄りは在宅するのが正しい生活である。

というのは、治療法がまだ十分に確立されていないからだ。老生に言わせれば、ワクチンも呪(まじな)いみたいなもので、いずれ効力が薄れてゆくらしい。

さて、テレビにいろいろな医師が出演して、あれこれ言っているが、似たような話ばかりで、今後の見通しは、どうもはっきりしない。

となると、遠い国のアフガニスタンだが、今回の政変の方が、はるかに大きな関心を与えてくれる。

もちろん、老生、中近東の諸事情についての知識は皆無。にもかかわらず、関心を抱いているのは、イスラム教に基づく宗教政権を成立させた点にある。

と言っても、またここに大きな難問が現れてくる。それはイスラム教そのものである。

老生、東北アジアの伝統的文化―それも儒教を中心としての研究者であり、残念ながら、イスラム教に関しては無知。

だから、イスラム教とキリスト教との相違について、よく分からない。老生、20代のころ、思想に関心が強かったが、雑学的に読書したに過ぎない。しかし、その生活での思い出をひとつ記してみよう。

一神教すなわち神は、お一(ひと)方(かた)という概念から出発する宗教がキリスト教やイスラム教などであるが、その出発点で、もう両者は対立する。すなわち、キリスト教では、イエスは神の子であるとするが、これに対して、イスラム教は<神に子はいない>として、キリスト教を批判する。なるほど。

すると、キリスト教は<神・イエス・聖霊の三者は一体>という三(さん)位(み)一体説を立てて必死になって対抗する。

この論争、聖霊を論理化しておこなっているのだが、もちろん結論はない。

こうした論争ひとつを取り上げただけでも、両者(キリスト教・イスラム教)は、冷静に論じあっている。

もっとも、それが十字軍となってくると、武力抗争の話になる。キリスト教・イスラム教両者の抗争は、われわれ東北アジアに住む者にとって根本的意味が分からない。今回のアフガニスタンの政変も、表向きの話はともかく、その根底に在(あ)る宗教的・思想的意味は、われわれ東北アジアすなわち儒教文化圏の者には、よく分からない。

とすれば、まずはイスラム教に関する<初歩的>講義をマスコミが行ってはいかがか。新聞は報道だけでいい時代はもう終わった。いい意味での啓(けい)蒙(もう)的活動に移っていいのではなかろうか。老生、本紙読者のひとりとして、それを求める。

もちろん、念のために言うが、それは特定宗教の信者を増やすためのものではなくて、異文化理解のためとしてである。

知らない異文化について、客観的理解がまずないことには誤解するだけに終わろう。

『論語』為政に曰(いわ)く、学びて思はざれば、則(すなわ)ち罔(くら)し(ぼんやり)。思ひて学ばざれば、則ち殆(あや)ふし(独善的)と。 (かじ のぶゆき)