「世界エイズ・結核・マラリア対策基金(通称・グローバルファンド、GF)」の戦略・投資・効果局長を務める医師の國井修氏が、誰も置き去りにしない社会について会いたいゲストと対談する企画の9回目は、WHO(世界保健機関)で健康危機管理官を務めた阿部圭史氏を招いた。(中)では危機時を想定する日ごろの準備の必要性やの人員配置について話が及んだ。
やり過ぎる方がまし
國井 新型コロナでは未知の部分が多かったし、霧があまりに深くて見えにくかった。初期の段階ではいろいろな専門家がいろいろなことを言ったけれど、外れたこともたくさんありましたよね。米疾病対策センター(CDC)でさえ、当初はマスクはあまり予防効果がないと言っていたし、日本の専門家にも検疫や入国制限には意味がないと言っている人もいた。エビデンスが分かってくるにつれ、変わっていきました。
日本が流行初期に足りなかったと思うのは、戦術レベルで不明瞭なことが多かったこと。例えば、他国ではレベルを細かく分けて、ある地域でくらいの感染者や重症者が出た場合にはどのような措置をするかといった対応をかなり早い時期から決めていました。あとで後悔しないように、過剰なほどの対応をしていた国もあります。日本でも、10万人あたりの感染者数、重症者数、ICUベッドの占有率などの数値を使って、細かい対応を早期に決めておくとよかったと思います。それらの方針が見えないことで、国民には不安や混乱があったと思います。
阿部 未知のものへの事態対処で、ピタリとはまるリソースがあることはあり得ないんです。やり過ぎる方がましか、やり過ぎない方がましか、という議論だと思うのですが、危機管理においては、被害を減らすという目的に照らしてやり過ぎる方がましというのが標準的な考え方です。それを「ノー・リグレッツ・ポリシー」(後悔のない対策)と言います。でも、日本では政府も国民も危機管理の概念を教育されていないので、「やり過ぎだ」という議論になりがちです。
國井 初期は厳しめの措置で始めて、結果やエビデンスが見えてきたら、措置を緩めたり変えたりできます。
阿部 そうですね。
國井 ただ、現在、欧米では感染状況が悪化している国もあるのですが、今後、ロックダウンのような強い措置はできないと思います。人々がもう耐えられない。政府に対する不信感が強い国もあります。ワクチンと公衆衛生措置でどうにか乗り切ろうと踏ん張っているところですね。ですからパンデミック対応では、エビデンスが分かっていない流行初期の段階でできるだけ封じ込めのための強めの措置をやり、長期戦になる場合は、阿部くんの本にあるような「摩擦」への対処もしながら、エビデンスと現実を見ながら対策を進めるのが危機管理では必要になってくると思います。
阿部 未知がだんだん既知になっていくことを、私は「感染症危機管理組織と脅威との不断の相互作用」と説明していますが、作用をすることで反作用が入ってきてこれは合わないと情報が入ってくるので、そこで適合させていくことが必要ですよね。
公務員は平時から足りない
國井 もうひとつ大事なのは、「サージ・キャパシティ」です。厚労省を始め日本の官僚の数は、OECD(経済協力開発機構)の平均と比べてすごく少ない。平時でも夜中まで仕事をしているのに、危機が来たときに緊急事態対応もするのは不可能に近いと感じます。そうした人員配置についてはどう考えますか?