評伝

地方と派閥の復興を思い続けた竹下亘氏

竹下派新会長として合同インタビューに答える竹下亘氏=2018年4月20日午後、東京都千代田区(宮川浩和撮影)
竹下派新会長として合同インタビューに答える竹下亘氏=2018年4月20日午後、東京都千代田区(宮川浩和撮影)

中国山地の山間。古い街道沿いに民家が並ぶ掛合(かけや)町(島根県雲南市)の小さな集落が、17日に死去した竹下亘(わたる)元復興相の生まれ故郷だ。その高台に、兄で元首相の登氏が眠る竹下家の墓がある。

平成28年11月、自民党国対委員長だった竹下氏の墓参に同行した。「兄貴はこの景色を見ていたんだよな」。ぼそっと話した後、墓地から見渡せる集落を眺め、たばこを吸う竹下氏の姿が、今も印象に残っている。登氏は昔、この景色を前に地方の発展を誓って政治家を志し、宰相に上り詰めたという。

後を継いだ竹下氏も、兄と同じ「ふるさと創生」を政治信条とした。「水、食糧、エネルギー、生きることは田舎が支えている」という言葉を何度か聞いた。

墓参の日の夜。移動の車中で私の家のルーツに話題が及ぶと「なんだ、田中君も所詮、僕と同じ田舎者じゃないか」と笑った。竹下氏は高校時代から東京暮らしだが「田舎者」を自称し、それを誇りにしていた。無愛想で口数が少なく記者の名前を覚えようとしない人が、初めて私を名前で呼んだのは、この時だったと記憶している。

昨年の自民党総裁選では菅義偉首相の支持を表明。決起集会では「菅さんは立っているだけで田舎の匂い。これが日本の匂いなんです」と食道がんの影響でかすれた声を振り絞った。

登氏が旗揚げした経世会の流れをくむ平成研究会(竹下派)の会長に就任したのは30年4月。登氏から数えて3人の首相を輩出した名門派閥の「鉄の結束」復活を目指した。同年9月の総裁選では石破茂元幹事長の支持に動いたが、安倍晋三首相(当時)の再選を支持する派内の声に押されて事実上の自主投票となった。「一本化したかったが私の力不足だった」とうなだれる姿が痛々しかった。

この時、竹下氏の動きは安倍氏への反旗だなどと評されもしたが、実際は本人にそうした思惑はなかった。安倍氏が圧倒的優勢に立つ中で「自民党に対する地方の声は厳しい。派閥同士の活発な政策論争を国民に見せないといけない」。それが一貫した思いだった。

この挫折を経て、以前にも増して「うちのムラ(派閥)から総理・総裁を出さないといけない」と語るようになった。

一緒に食事した際、私が「最大派閥(細田派=清和政策研究会)の支持が重要ですよね」と話すと「軍門に下るつもりはない」と珍しく語気を強めた。平成研こそが日本を真ん中で支えてきたという自負。もしかしたら、兄が作り上げた名門派閥の力をそいだ「反・経世会(平成研)」の小泉純一郎元首相と清和研に対する複雑な感情もあったのだろうか。

最期の病床でもふるさと創生と「うちのムラから総裁を」の思いを抱き続けていたに違いない。(田中一世)

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