話の肖像画

台北駐日経済文化代表処代表・謝長廷(75)(17)京大に留学中、突然の日台断交

謝長廷氏(飯田英男撮影)
謝長廷氏(飯田英男撮影)

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《謝長廷代表が国費留学生に合格した時点では、まだ日本は台湾と外交関係があった》


私が日本の国費留学生に合格した1971(昭和46)年、そして京都大大学院に入学した72年4月はまだ日台に正式な国交がありました。台湾は国号を「中華民国」としています。日本は中国を代表する政権として52年4月、「日華平和条約」に調印。台湾に移った蔣介石(しょう・かいせき)が率いる国民党の「中華民国」を承認していました。

ところが私が京都で留学生活を始めてすぐ、72年7月に誕生した田中角栄政権が9月に大きな動きに出ました。49年10月に成立したものの、日本政府が承認していなかった共産党政権の「中華人民共和国」と国交を結び、その結果、台湾の「中華民国」と日本は外交関係を断ったのです。

日本の方々には複雑な経緯に映るかもしれませんが、歴史的な事実として台湾の「中華民国」も、北京の「中華人民共和国」も、72年当時はまだ互いが中国を代表する政権だと主張して譲りませんでした。このため、日本も米国(79年1月に中国と国交樹立し台湾と断交)もどちらかを選ばざるを得ない政治事情があったといえます。


《中台の関係は現在も複雑な国際問題になっている》


双方の主張には隔たりがあります。北京側はいまも「台湾は中国の不可分の領土だ」と主張して、武力による領土併吞(へいどん)すら辞さないと公言しています。しかし、台湾の蔡英文政権は中国の一方的な主張を拒否しています。共産党政権と中華人民共和国は歴史上、一度も台湾を支配下に置いたことがない。

台湾は現在、中国とは異なる存在だと考えています。そうした歴史と現在の厳しい状況を、日本の方々にももっと知っていただけたらと願っています。

台湾の正式な名称や憲法、社会のあり方には議論の余地があり、一朝一夕には解決できないでしょう。ただ台湾は民主主義の価値観を共有する存在として、日米欧をはじめとする国際社会とさらに協調していきたいし、世界保健機関(WHO)などの国際機関にもより貢献したいのです。