話の肖像画

台北駐日経済文化代表処代表・謝長廷(75)(15) 台北で漢方医の一家に生まれて


《中学や高校のときは》


中学校に進むころも一家の貧困は続いていました。バス代がかかる中学は諦め、歩いて30分で通える成功中学に進みました。日本時代から歴史ある学校で台北駅近くにあります。

この成功中学で出会ったのが駱(らく)温寿先生でした。私は駱先生が指導してくれた体操競技に魅了されました。つり輪など体操競技でメキメキ力をつけ始めていた私を駱先生は体育教育の優れた高校に進ませようと、あちこち力を尽くしてくれました。

ある日、駱先生は台北で有名な高校の体育教師に紹介するといって、私を自転車の後ろに乗せて学校まで出かけました。

私を外で待たせて、その体育教師と1時間ほど交渉してくれたのですが、私は中学時代、体操競技ばかりしていて成績が振るわず、赤点ばかり。結局、(その高校への入学の)チャンスは訪れませんでした。

駱先生も悔しかったのでしょう。「こんな高校には行かなくてもいい」と言って、泣いていた私を慰めてくれました。あのときのことは生涯、忘れられません。その後、成功中学に近い商業高校に進学し、そこでつり輪や器械体操の選手として、さらに力を伸ばしていきました。(聞き手 河崎真澄)

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