ひとりの男のことを書きたいと思う。光田明正(みつた・あきまさ)(85)。文部省(当時)留学生課長、学術国際局審議官などを歴任した元キャリア官僚だ。祖先は中国大陸の福建(ふっけん)から台湾へ渡ってきた漢民族である。親族は伝統的な一族主義を貫き、大事にする社会規範や価値観は「儒(じゅ)」の色が濃い。
明正は、日本統治時代に生まれ、9歳で終戦。中国国民党が乗り込んできた台湾で中学・高校に通ったが、1953(昭和28)年一家で日本へ。東京大学を卒業し文部省へ入省、退官後は大学学長も務めた。
日本語はもちろん、中国語(普通話)、台湾(閩南)語、英語に堪能である。国籍は日本→中華民国→日本へ。名前は黄明正→光田明正へと変わったが、男は「僕はずっと『日本人』だった」という。