これまでは「最後の将軍」となった徳川慶喜を中心にお話ししてきましたが、今回は幕末、徳川家による単独支配にくさびを打ち込むため、その慶喜に対して陰に陽に立ちはだかって倒幕の立役者になるとともに、明治新政府を主導した薩摩藩出身の大久保利通のありようについて考えてみたいと思います。
すぐれた独裁者
大久保に関しては近年、それまでの「公議輿論(よろん)を尊重せよ」との声を抑圧した専制(官僚)政治家・権謀術数家・冷血漢といった人物像が否定される傾向にあります。と同時に、彼は日本が近代化を達成するうえで最も重要な役割を果たした、すぐれた指導者であり、清潔な政治家でもあったとの評価が次第に定着しつつあります。さらには、世界の中の日本という広い視点を持ち、かつ「公議輿論」を尊重しようとしたところにこそ、むしろ大久保の本質があったとすら評価されるようになってきています。