花村萬月さん『対になる人』50の人格宿る不思議な心  - 産経ニュース

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花村萬月さん『対になる人』50の人格宿る不思議な心 

『対になる人』を刊行した花村萬月さん。「病気もしましたが、筆がのって調子がいいんです」
『対になる人』を刊行した花村萬月さん。「病気もしましたが、筆がのって調子がいいんです」

一人の人間の中に異なる人格が複数存在し、あらゆる場面で入れ替わっていく-。解離性同一性障害(多重人格障害)を題材にした、花村萬月(まんげつ)さん(66)の小説『対になる人』(集英社)は、人間の心の複雑さ、不可思議さを突きつける衝撃作だ。

花村さんは、数年かけて解離性同一性障害をテーマに取材し、小説として紡いでいった。「いくつかの人格が、一人の人間の中に入っているだけでも驚きでした。辛く、またストレスを伴う取材でしたが、これまでの人間に対する見方が大きく変わりましたね」と語る。

執筆に取り組んでいた平成29年、骨髄異形成症候群と診断された花村さんは、翌年に骨髄移植を受けた。抗がん剤や放射線治療の影響で意識がもうろうとなる中、連載を落とすことなく書き上げた。

«執筆のため、東京から冬の札幌に転居した小説家の菱沼は、クラブ経営者の紫織と出会う。昼間はスープカレーの店を繁盛させるやり手の紫織だが、過去に受けた性的虐待や暴力などのトラウマから、50もの人格を宿していた…»

菱沼は、紫織の中に存在する複数の人格にそれぞれ名前を付けていく。経営者として成功し、夫や子供を持つ基本人格の紫織の中には、セックスを担当する「雪」に「秋」、自殺願望の強い「ひかり」、純粋無垢(むく)の女子高生のような「さゆり」、学究肌で頭が切れる「あかり」など、実にさまざまな人格がうごめいていた。

それらの人格が入れ替わる際に、意思の疎通はない。そこで対人関係に矛盾が生じないよう、それぞれが日記をつけて情報を共有する手が打たれているのだ。

魅力的な人格にも

解離性同一性障害は、幼少期に受けた筆舌に尽くしがたい虐待など、トラウマによって引き起こされることが多いという。

作中の紫織もまたしかりだ。小学生時代、教師の性虐待によって別の人格が生じ、高校時代に受けた性暴力で複数の人格が増幅していった。

「耐えがたい苦痛や辛さは全部、新しい人格を作って任せる。そうやって生きていく形なんです」

さらに、紫織には勉学に特化した人格や、他人の気を引くこの上なく魅力的な人格が宿っており、目を見張るような能力が発揮されることも。「これは障害なのだろうかと思ったりします。人間の精神、脳の可能性を示唆するすさまじいものがありますから」と花村さん。

そんな解離性同一性障害は、人間を凝視する作家にとって深いテーマなのだろう。19世紀の英国で刊行された小説『ジキル博士とハイド氏』をはじめ、高村薫さんの『マークスの山』、米国のノンフィクション『24人のビリー・ミリガン』などさまざまある。

複雑で多様な脳や精神

結果として、50以上の人格を宿すことになった紫織は、幾重にも及ぶ過酷な生を繋(つな)いでいく。紫織に深入りしたことで、多数の人格に翻弄される菱沼もまた、自身が「悪い逸郎」と呼ぶ別人格を有しており、実感を持ってこう独白する。

«内面に対になる人をもたぬ、たった独りで生きることのつらさに俯(うつむ)いて耐えているあなた方に、この幸福があるか»と。

一つの肉体に宿る複数の精神とは一体、どういうものなのか。自我という哲学的問題を軽々と凌駕(りょうが)してしまうテーマに挑んだ花村さんの所感が、随所に刻まれる。

「打ちのめされました。正常ってなんだろう、と。人間の脳や精神の多様性、複雑さを目の当たりにし、作家として、人間の精神の深淵(しんえん)を垣間見た思いです」(横山由紀子)

はなむら・まんげつ 昭和30年、東京都生まれ。平成元年、『ゴッド・ブレイス物語』で小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。10年に『皆月』で吉川英治文学新人賞、『ゲルマニウムの夜』で芥川賞を受賞。29年に『日蝕えつきる』で柴田錬三郎賞。『百万遍 青の時代』『たびを』『信長私記』『少年曲馬団』『ワルツ』など著書多数。