【書評】『特攻文学論』井上義和著 感動という劇薬の扱い方 - 産経ニュース

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書評

『特攻文学論』井上義和著 感動という劇薬の扱い方

『特攻文学論』
『特攻文学論』

ハイデッガーは20世紀を代表する哲学書『存在と時間』の中で「良心、死、負い目」の3つを本質的な実存現象として挙げ、歴史という時間と結びついた人間存在への考察の手掛かりとした。本著で取り上げられる「特攻文学」や「特攻映画」は、両極端な評価を受けやすい作品である。その一方でこれらの作品は、特攻隊を送り出すに至った当時の日本社会への「良心的な批判」や、特攻隊員たちの「死の追体験」、戦前の日本への批判を経ても戦後日本に残る「戦死者への負い目」など、ハイデッガーが言う意味で「本質的な実存現象」を3つ含む。著者はハイデッガーは参照していないが、仏哲学者デリダが援用した「ファルマコン(「毒薬」と「良薬」の両義をもつ語)」に着目し、特攻文学が持つ「設計された感動」という毒薬としての力と、「集合的な記憶を継承」させる良薬としての力の双方について丁寧に分析している。

特に海軍航空隊出身で多くの特攻映画に出演した俳優・鶴田浩二のように、悪化する戦局の中で動員されて死を覚悟させられ、戦後に「腫れもの扱い」されてきた戦中派の偶像と感情に寄り添った分析が面白い。著者が指摘するように「特攻文学」は、戦後日本において「特攻の悲劇を正しく伝えて反戦平和思想を育む」という左派の思想からも、「特攻の悲劇を美化して戦争肯定思想を植え付ける」という右派の思想からも関心を持たれてきた。著者の政治的な主張も左右のバランスを考慮したもので、無理に千鳥ケ淵戦没者墓苑と靖国神社、自衛隊殉職者慰霊碑の3つを統合するのではなく、人々の愛国心の抱き方の多様性を認め、国境を超えて「祖国のために命を捧(ささ)げた存在」に対し敬意を払う重要性を説く。

個人的には「特攻文学」よりも『零式戦闘機』や『戦艦武蔵』を記した吉村昭のように、総力戦をネガティブな側面も含めて冷静に分析した「記録文学」を読み返すべきだと考えるが、本書はナショナリズムを批判する保守思想とでも言うべき文脈から、妖刀として極端な世論を先導する力を持つ特攻文学を「さや」に収め、安全に取り扱うための「ワクチン」を提示したオリジナリティーの高い文学論である。(創元社・1980円)

評・酒井信(明治大准教授)