【日曜に書く】論説委員・中本哲也 「生きる力」に感謝する - 産経ニュース

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【日曜に書く】論説委員・中本哲也 「生きる力」に感謝する

【東京パラリンピック2020】<競泳女子50メートル背泳ぎ 運動機能障害S2決勝>力泳する山田美幸=東京アクアティクスセンター(桐原正道撮影)
【東京パラリンピック2020】<競泳女子50メートル背泳ぎ 運動機能障害S2決勝>力泳する山田美幸=東京アクアティクスセンター(桐原正道撮影)

パラリンピック東京大会の閉幕から1週間になる。五輪の閉幕からは1カ月が過ぎた。

《五輪には、人の可能性を大きく広げ、「競争」と「共生」を融合させる力がある。それと同じ、もしくはそれ以上の力が、パラリンピックにはある》

パラリンピックの開幕前に書いた「主張」の一節を、すべてのアスリートたちが実証してくれた。ありがとう。感謝の言葉しかない。五輪とパラリンピックが日本で開催されて、本当に良かった。

山田美幸の背泳ぎ

パラリンピックで最年少メダリストとなった競泳女子(運動機能障害S2)の山田美幸は、強く印象に残ったアスリートの一人である。

中学3年生、14歳の山田は100メートルと50メートル背泳ぎで2個の銀メダルを獲得し、閉会式では国旗を運ぶベアラーを務めた。

100メートル決勝で最初に山田の泳ぎを見たときの驚きは忘れられない。

生まれつき両腕がない。下肢の障害も重い。長さの違う両足で水を蹴り、腕のない両肩を回して水を搔(か)く。頭の位置で舵(かじ)をとるのだという。

隣のレーンの選手は、両腕を使っている。クラスは同じでも一人一人の障害はみな違う。山田の背泳ぎは山田だけのもので、他の選手もそうだ。

「残されたものを最大限に生かす」ために想像できないほどの困難があったはずだが、山田の泳ぎからは「楽しさ」と「喜び」が伝わってきた。

大学生のころ、障害児キャンプで出会った子供たちのことを思い出した。視覚や四肢に障害のある子の多くが、海やプールに入るのをとても喜んだ。水に入ると姿勢が楽に保てて、大きな動作もできる。障害にもよるけれど、水は空気より確かで地面よりも優しいようだ。

山田が2個目の銀メダルを獲得した50メートル背泳ぎのレースをテレビ観戦中に、別のアスリートがふいに頭に浮かんだ。

二刀流でメジャーリーグに旋風を巻き起こしている、大谷翔平である。

恵まれた体を躍動させ、打って、投げて、走る。野球の楽しさが凝縮したような大谷のプレーと、自分の力でゴールに向かって進める喜びを全身にあふれ出させた山田美幸の背泳ぎが、重なった。

閉会式。電動車いすの山田は真っすぐに前を見て、胸を張って国旗を運んだ。

木村敬一のバタフライ

競泳男子(視覚障害S11)の富田宇宙は、大会中のインタビューで必ず、練習パートナーであり、ライバルである木村敬一への思いを話した。

「無からつくり上げた泳ぎで、パラのトップスイマーになったのは木村君だけだ」

「木村君に金メダルを取ってほしい」

その思いが結実したのが、100メートルバタフライの決勝レース(3日)だった。4大会目の出場で念願の金メダルに輝いた木村を真っ先に誰よりも熱く、2位の富田が祝福した。

「木村君に負けて本当は悔しがらないといけないけれど、こんなにうれしいことはない」

木村の力強いストロークが、バタフライという泳法を見たことのない男がつくり上げたものであることを富田に教わった。

32歳の富田は3歳から水泳を始め、高校生のとき網膜色素変性症が判明した。大会時に30歳の木村は先天性の視覚障害で2歳のとき失明している。

富田は2つ年下の木村を心から尊敬し、金メダルをかけたレースで真剣勝負を挑むと同時に、見えていたときの記憶がない者が世界で戦うことのすごさを、全力で伝えた。

勝負に負けた悔しさより、木村の金メダルがもたらす希望が富田にとって大きかったとしても、「アスリートとして失格」の理由にはなるまい。

眼球のない男児

大学生のころキャンプで会った男児のことを思う。小児がんで両目を失い、身体障害も知的障害も重い。5歳くらいだった男児にとって「残されたもの」は何だろう。

40年前、男児が生きていることが無条件で尊いと感じた。想像もできないような困難の総和を上回る、強い「生きる力」を持っているのだ。

山田美幸の背泳ぎ、大谷翔平の躍動、木村敬一のバタフライと富田宇宙が抱いた希望。その根幹にあるのは、あの男児と同じ「生きる力」だと思う。

差別や偏見が「生きる力」を脅かすことは、あってはならない。(なかもと てつや)

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