「神よ、首相に自由を」退陣解く司馬コラム 鹿間孝一 - 産経ニュース

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「神よ、首相に自由を」退陣解く司馬コラム 鹿間孝一

自民党総裁選への不出馬を表明する菅義偉首相=3日午後、首相官邸(春名中撮影)
自民党総裁選への不出馬を表明する菅義偉首相=3日午後、首相官邸(春名中撮影)

もし司馬遼太郎さんが存命なら、今の日本を見て、何を語るだろう。そう思うことがある。ありがたいことに、膨大な著作をひもとけば、必ず答えが見つかる。菅義偉首相の突然の退陣表明も、次の一文が解き明かしてくれる。

〈たれがいったのか、政治は感情である、という有名なことばがある。

戦後憲法では、国会議員から首相がえらばれるのだが、それだけに議員のなかには、「あんなやつが」という感情が当然ある。

「自分たちが首相にしてやった」というのも、感情である。「だから、勝手なまねはさせない」となると、最悪の感情になる。〉

司馬さんが産経新聞に連載したコラム「風塵抄」で「日本国首相」を書いたのは平成3年(1991年)11月4日である。海部俊樹首相が辞職して、翌5日に宮沢喜一氏が新首相に就任した。

〈「新首相に何を望むか」などという新聞・テレビの企画があるが、そういう企画は、まず日本国首相の足もとにどれだけのスペースがあるか、という企画をやってからすべきではないか。ひょっとすると、靴の裏だけのスペースかもしれないのである。〉

海部氏は少数派閥だったが、リクルート事件で政治不信が高まる中、クリーンなイメージを買われ、「選挙の顔」を期待されての登板だった。だから衆院選で大勝して、自分のカラーを出そうとすると、途端に〝海部降ろし〟が始まった。

菅首相は無派閥である。それでも歴代最長の安倍晋三政権を官房長官として支えた実績から、後継者として総裁選で圧勝した。主要派閥に推された足元は盤石に見えた。しかし実際には、〈感情群という満員電車に押しこみ、やっと吊り革にぶらさがっている状態〉で、雇われ店長のように不自由だった。

加えて世論調査の移ろいやすい数字が、政権の命運を左右する。こちらは国民の感情である。発足時に60%を超えた内閣支持率は、直近では30%前後に急落していた。このままでは衆院選で大敗すると、自民党内は浮足立った。新型コロナウイルスに振り回された菅首相は、もっと腰を据えてやりたいことがあっただろうに…。

日本の政治は、また1年おきに首相が目まぐるしく交代する、不安定な時代に逆戻りするのだろうか。司馬さんはこう締めくくった。

〈神よ、日本国首相に自由を与え給え。〉

しかま・こういち 昭和26年生まれ。社会部遊軍記者が長く、社会部長、編集長、日本工業新聞社専務などを歴任。特別記者兼論説委員として8年7カ月にわたって夕刊1面コラム「湊町365」(産経ニュースでは「浪速風」)を執筆した。