指導に正解はない、と今でも思う。前回のリオデジャネイロ五輪から5年の間、私自身には多くの葛藤や迷いがあった。迎えた東京五輪。周りに手応えを聞かれ、そっと自分の胸に問うても、最後の最後まで結果の予測はできなかった。
教え子である女子個人メドレー2冠の大橋悠依(ゆい)には大会前、「覚悟を持て」ということを粘り強く伝えてきた。まずは五輪本番でやりたいことを決め、それをどんなことがあってもやり抜く覚悟が、勝負には絶対に必要なんだと。彼女との道のりは平坦(へいたん)ではなかった。ぶつかり合ったことも一度や二度ではない。それでも最後は自分自身を信じ、今までやってきたことを一番いい形で出してくれた。そこでようやく安堵(あんど)し、思わず目が潤んでしまった。
もともと、長い手足を生かした伸びやかな泳ぎにひかれた。一方で体の線が細く、性格は繊細。時間はかかるかもしれないが、本格的に指導したいと思ったのは、彼女が高校2年のときだった。男子平泳ぎの北島康介と重なる部分があり、「金の器」だと直感した。
「金の器」とはなにかと問われれば、私は「才能」+「学習能力の高さ」ではないかと考える。例えば、競技会でメダリストになったとしたら、メダリストから逆戻りしない。トップの環境や場所をすぐに自分のものにし、その土俵で戦い続けることができる人だ。そんな選手には共通して、困ったら「教えてください」と素直に聞ける耳がある。だからこそ周囲が、真の「金の器」に育てていくという側面もある。
今までの指導経験が大橋に生き、彼女の指導でまたひとつコーチングの幅を広げることができた。リオ五輪で金メダルを獲得した後に苦しんだ萩野公介との時間も特別で、最後に彼の成長を見届けることができた。
そんな今は、この経験を次の選手につなげていくというより、これまでとは異なる新しい方法で、次の選手を育てたいという気持ちの方が強い。この10年続いた「選手の成長を待つ」やり方ではなく、こちらから積極的に手を出して伸ばしていくイメージだ。
東京五輪を終え、日本代表ヘッドコーチは退く。次のヘッドにこのポジションを経験してほしいし、私は私なりの立場で、今後も日本水泳界をサポートしていきたい。考えていること、そしてやりたいことはまだまだある。